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憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :05/04/19:40

01230800 陳腐な話 ~嘘と真~

日本が国連南スーダン派遣団(United Nations Mission in the Republic of South Sudan:UNMISS)に増派されるパキスタン、バングラデシュ、ネパールなどの軍事要員や装甲車の空輸を依頼され、それを断っていたことがわかりました。

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01170800 今でしょ!

中国の軍拡は日本だけでなく、東アジア全体に大きな影響を及ぼしています。

戦略・戦術を練り、そこから戦略・戦術に必要な武器類を調達していくのが常道です。

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01010000 謹賀新年

2014年を迎えました。

様々な場所で様々な状況で新年を迎えられ、たやすく「おめでとう」とは言えないと思います。ですから、今年はご挨拶は割愛させていただきます。

事実、暢気に〝あけおめ〟と言っていられる気分にはなれません。

日本を取巻く情勢、米国の動き、高速右旋回に入った安倍首相など懸念される事が山積しています。戦闘機が高速旋回するとGの影響で意識喪失も考えられ、極力避けなければならないものです。

私たちは、これまで以上に政治に注目しなければなりません。そうしないと、取り返しのつかない結末を迎えることは言うまでもありません。それが、2014年の課題です。

良い年になるよう私たちの努力が試されることになりそうです。

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12311200 年末の大騒動

『計算されたリスクを取れ。それは軽率な猪突猛進とはまったく違うのだ』

『1パイントの汗が、1ガロンの流血を防ぐ。「急く」とは、きちんと偵察をせず、援護火器を準備せず、すべての要因を活用していないことを言う。こんな戦闘計画は戦闘開始までは早いが、片をつけるまで結局長くかかる』

これは、私が敬愛するジョージ・S・パットン将軍の遺した言葉です。

知るはずも無いでしょうが、安倍首相にご教示したいです。

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12150800 朴槿惠の逃がしたチャンス

今年2月に韓国大統領朴槿惠は就任以来、反日姿勢を貫いています。

朴槿惠はこれまでの韓国外交の基本であった米・日・中の優先順位を米・中・日に転換しました。中国語が堪能の朴槿惠大統領ですから、それもありかと思いますが、義勇軍の名で人民解放軍を投入し韓国全土を蹂躙した中国に擦り寄る姿は、日本に対し歴史問題を持ち出し批判を繰り返す彼らを理解できませんし、醜悪極まりないものです。

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12130800 オバマさん実は親中派でした

何の事前協議も無く防空識別圏(ADIZ)を設定した中国に、日本のメディアは大騒ぎしました。

ADIZ設定後、米空軍B-52戦略爆撃機が中国の設定した防空識別圏を飛行させると、日本のネトウヨは喝采しました。「アメリカが日本の肩を持ってくれた」「日米同盟強化!」「日米の連携で中国を黙らせた」など手放しの喜びようでした。

でも、今回の一連の動きの中に隠された本質は誰も伝えていないような気がします。

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12011446 東日本大震災

震災からの時間はどんどん過ぎていきますが、次の備えは全くと言っていいほど進んではいないように思います。

東日本大震災では、原発事故が無ければどれほど復興が加速されたか悔やまれます。それが、人為的なミスが重なり事態が悪化したとなれば、痛恨の極みです。

次の災害に備えた動きは皆さんの周りではあるでしょうか。

食糧や資器材の備蓄など行われているでしょうか。

東京都を除き、予算が無いとして我々には自分たちで準備するように訴えているのが現実です。

避難するにしても車を使うのか、徒歩なのか、避難できるスペースは確保されているのか、そんな基本的なことさえ現実には整えられていないのです。

私の周りでは震災後、それなりの訓練はされるようになりましたが、避難場所や食糧・資器材等の備蓄は全く手が付けられていません。

食糧等の備蓄にしても、3日分などと簡単に言いますが、3日分×家族数で、その重量はどれほどになるのかまで目が向けられていません。

現実無視! これが、震災後のこの国の現実なのです。

首都圏を震源とする直下型大地震が襲ってきたら、住民は一挙にサバイバル状況下に叩き込まれます。生き延びるためのサバイバルに、様々な略奪等の暴力行為も起きる可能性も起きる可能性もあります。そんな中で生き延びる自信はありますか?



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11111446 教訓

コンピューターの普及は軍事に対する理解を深めるきっかけにはなりましたが、どうしても本質が見失われてしまい、華々しい「戦略」「戦術」だけ注目されています。

しかし、実際の軍事では「兵站」が戦いの帰趨を決する重要なファクターになっています。

東日本大震災で、動員された自衛隊員の数字「10万」という数だけに注目されていましたが、〝元〟プロからすると恐るべきは10万人を動員して兵站がクリアできたことでした。

そして、それを可能にしたのが当時陸幕長であった火箱氏の高い作戦指揮能力と先見性の賜物と言えるでしょう。

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11011446 東日本大震災

震災発生当時の状況は詳細に伝えられていません。

ある派遣された記録係として被災地入りした自衛官の話を聞きましたが、派遣されたのが13日午前2時に被災地に向かっていると、東北道は停電で真っ暗。道路は地震により波打っており、高速道路の体をなしていなかったそうです。唯一の灯りは、コンビナート火災の炎という状況だったそうです。

13日午前5時に石巻市に入り、記録として写真撮影を行いました。「広報」の腕章をしており、被災者の方から「こっちにも助けに来てください」と泣き付かれたそうですが、記録係であった彼は何もできずつらかったそうです。

女川町に移動すると、カラスの鳴き声とトタンが風で揺れる音しか街にはなかったそうです。被災者のみなさんはボロボロの格好で街を彷徨っていたそうです。靴もはいていない人が多くいたと当時の状況を語っています。

記録係であり写真撮影が仕事でしたが、あまりの光景に撮影を躊躇する場面が多くあったそうです。

以前にもお話しましたが、犠牲者のご遺体を撮影しにように配慮したそうですが、あまりにも遺体が多く、配慮できない状況になってしまったというのです。

私たちが目にした被災地の報道写真や映像は、被災地の現実ではないのです。活動中の隊員も初めて目にする多くのご遺体に神経が昂り撮影されたくない雰囲気があったとも言っていました。

震災直後から現場に物資輸送に携わったトラックの運転手とも話しましたが、彼が言った言葉で印象的だったのは、「現場を見ないと他人事としか受け取れない」と言っていました。

彼は地震発生直後から東京から食料品等を仙台に輸送、その後は建築資材等を仮設住宅向けに運んだとのことでした。岩手・宮城・福島とほとんどの被災地を回ったそうです。

確かに被災したのは被災地だけです。しかし、災害は場所を選んだりはしません。いつ、何時、私たちを災害が襲うかわからないのです。

そして、国際情勢は緊張の一途を辿り、最悪の状況となれば我が国が戦場となる可能性もゼロではないのです。

それを理解し、それに備えるために私たちは教訓を生かさなければならないのです。

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10311446 東日本大震災

東日本大震災で自衛隊の活動だけが中心的に報道されましたが、警察、消防の活動も忘れてはなりません。

地震発生直後から多くの警察本部は被災地に向け移動を開始。翌12日、13日には本格的な活動を開始しました。

自衛隊のように報じられなかったのは、メディア対応の窓口が無かったことが第一です。継子扱いされてきた自衛隊は、メディア対応はお手の物ですが、警察にはそういったノウハウはありません。

それに、警察は一元管理されたものではなく、各都道府県警が各本部を設置したため、雑誌社などに活動が紹介されることはありませんでした。

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