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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :09/21/12:20

11011446 東日本大震災

震災発生当時の状況は詳細に伝えられていません。

ある派遣された記録係として被災地入りした自衛官の話を聞きましたが、派遣されたのが13日午前2時に被災地に向かっていると、東北道は停電で真っ暗。道路は地震により波打っており、高速道路の体をなしていなかったそうです。唯一の灯りは、コンビナート火災の炎という状況だったそうです。

13日午前5時に石巻市に入り、記録として写真撮影を行いました。「広報」の腕章をしており、被災者の方から「こっちにも助けに来てください」と泣き付かれたそうですが、記録係であった彼は何もできずつらかったそうです。

女川町に移動すると、カラスの鳴き声とトタンが風で揺れる音しか街にはなかったそうです。被災者のみなさんはボロボロの格好で街を彷徨っていたそうです。靴もはいていない人が多くいたと当時の状況を語っています。

記録係であり写真撮影が仕事でしたが、あまりの光景に撮影を躊躇する場面が多くあったそうです。

以前にもお話しましたが、犠牲者のご遺体を撮影しにように配慮したそうですが、あまりにも遺体が多く、配慮できない状況になってしまったというのです。

私たちが目にした被災地の報道写真や映像は、被災地の現実ではないのです。活動中の隊員も初めて目にする多くのご遺体に神経が昂り撮影されたくない雰囲気があったとも言っていました。

震災直後から現場に物資輸送に携わったトラックの運転手とも話しましたが、彼が言った言葉で印象的だったのは、「現場を見ないと他人事としか受け取れない」と言っていました。

彼は地震発生直後から東京から食料品等を仙台に輸送、その後は建築資材等を仮設住宅向けに運んだとのことでした。岩手・宮城・福島とほとんどの被災地を回ったそうです。

確かに被災したのは被災地だけです。しかし、災害は場所を選んだりはしません。いつ、何時、私たちを災害が襲うかわからないのです。

そして、国際情勢は緊張の一途を辿り、最悪の状況となれば我が国が戦場となる可能性もゼロではないのです。

それを理解し、それに備えるために私たちは教訓を生かさなければならないのです。

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