憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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03110800 | 3月11日 |
震災から丸一年になろうとしています。
昨年は震災直後から「絆」などと持て囃され、昨年を代表する漢字にまで選ばれました。
日本人独特の流行の波に乗り、被災地での活動は大きく広がりました。いろいろな業界の人間が被災地に赴き、様々な活動をしました。大変立派な行為であり、高く賞賛されるものです。
しかし、震災直後の〝あの時〟、被災地に行かれた方のうちでどれだけの方が現在も活動を継続されているのでしょうか。
こうした情報が伝わらないのは、メディアが話題性の低下した被災地での活動を伝えなくなったせいなのでしょうか。それとも、被災地で行われる活動が少なくなってしまったせいなのでしょうか。
日本人は「お涙頂戴」を好みます。
とある番組では、チャリティマラソンなる奇怪なコーナーがあります。
ランナーが走った距離で寄付をするわけでもなく、マラソンに関する費用などが寄付や寄進によって放送されるわけでもなく、なぜか「チャリティ」と銘打たれています。
わかりやすく言ってしまえば、タレント・ランナーが苦痛に顔を歪めるのを見せ、感動を呼んで寄付を集める〝チャリティ〟なのですが、日本人の多くは「感動をありがとう」と寄付してしまいます。
震災後の被災地での活動が、これとまったく同じ感覚で行われたのではないでしょうか。
被災地では親兄弟、夫、妻、我が子、恋人、友人、知人、愛した動物たちなどあらゆる生きとし生けるものの生命が奪われました。住む家もなくなり、思い出もなくなり、働くことすら叶わなくなったのです。
身を裂かれるような悲しみを抱えながら、感情を面に出すことなく、助け合う姿に世界中が賞賛しました。
そうした姿に、「絆」を絡め併せ広められました。
しかし、「絆」を訴えながら現実はというと、瓦礫処理が進まない現実があります。
被災した自治体での処理だけでは、数十年どころか百年単位の時間を要するというのに、処理を引き受けようとすると、住民の放射性物質に対する恐怖から反対に遭い実現できていません。
宮城県では、「放射能で汚染されたゴミを全国に撒き散らす気か」と大阪の女性から抗議の電話があったそうです。岩手県では、関西在住の方から、「もう岩手は放射能で人の住める所やないから、土地を捨ててこっちに逃げてくればええ」と電話があったそうです。
「絆」が訴えられ、それに賛同し多額の義捐金が集められる裏では、こうした実態があるのです。これのどこに「絆」があるというのでしょうか。
人間はアルコールが入り理性の壁が低くなったり、生命の危機を感じると、普段は見せない本質を表に出します。
私自身もそうなのでしょうが、危急存亡の事態に直面すれば、どれほど偉そうな話をしていようとも利己的になってしまうでしょう。
しかし、こうした時こそ、その人のすべてがハッキリするのです。
3月11日14時46分、皆さんはどのようにしてこの時間を迎えられますか。
この一年に「もう一年」と感じるのか、「まだ一年」と感じるのかは、これは被災地との距離感によって違ってくることでしょう。
私は、犠牲になられた方々のためにも、あの震災と原発事故で何を学んだのか思い出し、あの時、世界中から差し伸べていただいた支援に感謝し、新たな災害に立ち向かう覚悟をして、3月11日14時46分を迎えようと思っています。
そして、これからの一年を、サイモン&ガーファンクルの名曲である~Bridge over Troubled Water~(明日に架ける橋)を思い浮かべて被災地と関わっていこうと思っています。
昨年は震災直後から「絆」などと持て囃され、昨年を代表する漢字にまで選ばれました。
日本人独特の流行の波に乗り、被災地での活動は大きく広がりました。いろいろな業界の人間が被災地に赴き、様々な活動をしました。大変立派な行為であり、高く賞賛されるものです。
しかし、震災直後の〝あの時〟、被災地に行かれた方のうちでどれだけの方が現在も活動を継続されているのでしょうか。
こうした情報が伝わらないのは、メディアが話題性の低下した被災地での活動を伝えなくなったせいなのでしょうか。それとも、被災地で行われる活動が少なくなってしまったせいなのでしょうか。
日本人は「お涙頂戴」を好みます。
とある番組では、チャリティマラソンなる奇怪なコーナーがあります。
ランナーが走った距離で寄付をするわけでもなく、マラソンに関する費用などが寄付や寄進によって放送されるわけでもなく、なぜか「チャリティ」と銘打たれています。
わかりやすく言ってしまえば、タレント・ランナーが苦痛に顔を歪めるのを見せ、感動を呼んで寄付を集める〝チャリティ〟なのですが、日本人の多くは「感動をありがとう」と寄付してしまいます。
震災後の被災地での活動が、これとまったく同じ感覚で行われたのではないでしょうか。
被災地では親兄弟、夫、妻、我が子、恋人、友人、知人、愛した動物たちなどあらゆる生きとし生けるものの生命が奪われました。住む家もなくなり、思い出もなくなり、働くことすら叶わなくなったのです。
身を裂かれるような悲しみを抱えながら、感情を面に出すことなく、助け合う姿に世界中が賞賛しました。
そうした姿に、「絆」を絡め併せ広められました。
しかし、「絆」を訴えながら現実はというと、瓦礫処理が進まない現実があります。
被災した自治体での処理だけでは、数十年どころか百年単位の時間を要するというのに、処理を引き受けようとすると、住民の放射性物質に対する恐怖から反対に遭い実現できていません。
宮城県では、「放射能で汚染されたゴミを全国に撒き散らす気か」と大阪の女性から抗議の電話があったそうです。岩手県では、関西在住の方から、「もう岩手は放射能で人の住める所やないから、土地を捨ててこっちに逃げてくればええ」と電話があったそうです。
「絆」が訴えられ、それに賛同し多額の義捐金が集められる裏では、こうした実態があるのです。これのどこに「絆」があるというのでしょうか。
人間はアルコールが入り理性の壁が低くなったり、生命の危機を感じると、普段は見せない本質を表に出します。
私自身もそうなのでしょうが、危急存亡の事態に直面すれば、どれほど偉そうな話をしていようとも利己的になってしまうでしょう。
しかし、こうした時こそ、その人のすべてがハッキリするのです。
3月11日14時46分、皆さんはどのようにしてこの時間を迎えられますか。
この一年に「もう一年」と感じるのか、「まだ一年」と感じるのかは、これは被災地との距離感によって違ってくることでしょう。
私は、犠牲になられた方々のためにも、あの震災と原発事故で何を学んだのか思い出し、あの時、世界中から差し伸べていただいた支援に感謝し、新たな災害に立ち向かう覚悟をして、3月11日14時46分を迎えようと思っています。
そして、これからの一年を、サイモン&ガーファンクルの名曲である~Bridge over Troubled Water~(明日に架ける橋)を思い浮かべて被災地と関わっていこうと思っています。
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