忍者ブログ

憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

05071155 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :05/07/11:55

02050800 醜悪な日本人たち~Japは日本人に相応しい~

山岡ミチコさんの訃報が伝えられました。

山岡さんは高等女学校3年で、広島の爆心地から800mの路上で被曝し、顔などに大火傷を負いました。

戦後、米国でケロイドの治療を受けた「原爆の乙女」と呼ばれた女性たちのお一人です。

いわれのない差別を受け、渡米しての治療の際にも日本国内から批判を受けたという山岡さんですが、広島の語り部として平和を訴え続けられてきました。




原爆は一瞬のうちに大勢の人たちの命を奪っただけでなく、奇跡的に生き残ることができた人たちには、現在の我々の想像を絶するような過酷な運命を背負わせることになりました。

広島の原爆による死傷者は何人だと思われますか?

この単純な問いに、正確な答えを出すことができないのが原爆の真実なのです。

公的な機関が出した数字として、広島県警が出した死者78,150人、行方不明者を含め92,133人というのが資料に見られます。

しかし、広島の平和公園の北側に、12万~13万人分と推定される遺骨が安置されていますが、氏名・性別・年齢・亡くなった場所もわからないという理由から、原爆の死者には入れられていません。

原爆については稿を改めますが、この原爆により日本人同士が「差別」するという醜態をさらしていたことは、現在では全く紹介されないどころか記録すらありません。

差別はいろいろなところで、いろいろな差別が行われました。

銭湯で湯船に浸かっているとき、被爆者であることが知れると湯船に浸かっていた人が一斉に立ち上がったとか、被爆者であることが知れ婚約が破談になったとか、就職で差別されたとか数え上げたらきりがありません。

こうした差別は、戦後20年以上が経過した1970年代になっても行われていたのです。尋常な感覚ではありません。

私はこの差別は、日本人の心の闇がもたらしたものだと考えています。

我欲に奔り、自己中心的、そんな日本人だからこそ平然と差別が行われたのです。

恐ろしいのは、同じ差別が被爆から66年後に日本で再燃した事実です。

風島原発直後から、科学的検証は一切されず危険性の根拠など無視し、一方的に放射性物質の恐怖を煽った人たちがいました。

いかにも、自分たちは「真実」を知っているような素振りで、事実を隠している政府や御用学者に対し根も葉もないことで言いがかりをつけるだけでなく、そうした軽率な行為から福島県の人たちを差別するという醜悪極まりないことが起きました。

原発事故がホラー映画のように扱われていたのです。

「絆」はどこに行ったのでしょうか?

山岡さんは、平和だけでなく日本人の心の闇を白日の下にさらすべく「平和」と言い換えて訴えていらっしゃったのではないでしょうか。

山岡ミチコ様のご冥福をお祈りいたします。

拍手[3回]

PR

+コメントの投稿+

+NAME+
+TITLE+
+FONT+
+MAIL+
+URL+
+COMMENT+
+PASS+
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

+TRACK BACK+

+TRACKBACK URL+