憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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11251113 | [PR] |
11110800 | 東日本大震災を忘れない |
東日本大震災から時間の経過と共に、少しずつ私たちの中から、あの未曾有の国難と表された感覚が失われつつあります。
私は被災地の出身者の一人として、あの災害を忘れないためにと、自分ができることをしているつもりです。
それには、家族の協力があってこそであり、一人では決してできるものではありません。
今回は、宮城県気仙沼市立階上中学校第64回卒業生 梶原祐太君の卒業式答辞をご紹介します。
皆さんも、3月11日以降のことを思い出していただければ幸いです。
『本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。
ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。
前日の十一日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は、十四時四十六分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。
わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、
この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。
先生方、親身の御指導、ありがとうございました。
先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。
地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。
必ず、よき社会人になります。
わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。
平成二十三年三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太』
〝苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です〟
15歳の多感な少年に何が起きていたのか…。
〝天を恨まず〟簡単に言える言葉ではありません。いかに梶原君が過酷な状況に陥っていたのか、それを想像するだけでも胸が痛みます。
梶原君を讃えることは容易です。しかし、私たちがやらなければならないことが何であるのか、それを真剣に考え、いつ襲ってくるかわからない天災地変に立ち向かう準備を怠ってはならないのではないでしょうか。
そして、梶原君とその卒業生が天を恨まないと誓いを守れるように、助けられる側の私たちが手助けしていくことが必要なのではないでしょうか。
私は被災地の出身者の一人として、あの災害を忘れないためにと、自分ができることをしているつもりです。
それには、家族の協力があってこそであり、一人では決してできるものではありません。
今回は、宮城県気仙沼市立階上中学校第64回卒業生 梶原祐太君の卒業式答辞をご紹介します。
皆さんも、3月11日以降のことを思い出していただければ幸いです。
『本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。
ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。
前日の十一日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は、十四時四十六分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。
わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、
この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。
先生方、親身の御指導、ありがとうございました。
先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。
地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。
必ず、よき社会人になります。
わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。
平成二十三年三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太』
〝苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です〟
15歳の多感な少年に何が起きていたのか…。
〝天を恨まず〟簡単に言える言葉ではありません。いかに梶原君が過酷な状況に陥っていたのか、それを想像するだけでも胸が痛みます。
梶原君を讃えることは容易です。しかし、私たちがやらなければならないことが何であるのか、それを真剣に考え、いつ襲ってくるかわからない天災地変に立ち向かう準備を怠ってはならないのではないでしょうか。
そして、梶原君とその卒業生が天を恨まないと誓いを守れるように、助けられる側の私たちが手助けしていくことが必要なのではないでしょうか。
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