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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :11/25/08:31

11130800 日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや

ダライ・ラマ14世が来日しました。チベット仏教を代表する最高指導者であり、チベットでは宗派を超えた影響力を持っています。





1950年、中華人民共和国人民解放軍がチベットを武力制圧し、チベット全域を中国に併合しました。

チベット独立運動(チベット動乱)後、インド北部ダラムシャーラーにチベット亡命政府を樹立しました。亡命政府の長として自治権を訴え、中国の弾圧を批判しています。

1989年にはノーベル平和賞を受賞しました。

皆さんは、ダライ・ラマ法王のニュースが非常に少ないと感じませんか?

政府だけでなくメディアも我が国の西の国の顔色をうかがって、こんな陳腐な事態に陥っているのです。

法王が日本に入国する際、日本政府はダライ・ラマに「政治活動しない」などの条件が付しているというのですから、この国はいったいどこの国の誰のための政府なのかわからなくなります。ちなみに、公式に法王と会談した歴代首相は大平正芳氏のみ。我が国政府がいかに西域に配慮しているかわかります。

推古15年(607年)「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや…」との書き出しで聖徳太子が隋の皇帝に送った国書があります。

当時は西のローマ帝国、東の隋国の二大帝国が存在していました。世界の二大帝国の一国に、このような書を送るとは命知らずか、はたまた大バカなのか…。

これは、隋に対等の関係を迫ったもので、隋の怒りをかいますが、隋は返書を送ります。

中国政府の支配下にある中日友好協会の会長に外相を務めた唐家璇(とうかせん)氏が内定しました。

唐家璇氏は知日派であり、来年の日中国交正常化40周年の一連の祝賀行事を円滑に進め、民間交流を通じて日本国民の対中感情を改善させる狙いがあるようです。

現在の会長である宋健氏は、中国人民解放軍でミサイル防衛の研究に携わっていた人物で、日本語もできず日本との縁も全くありませんでした。当時の江沢民政権が日中関係を軽視し、党内各派へのポスト配分の結果の人事とされています。宋氏に実績はなく、日中関係は悪化しており、日中関係改善を目指す胡錦濤政権の思惑がからんでいるとの憶測があります。

しかし、唐家璇氏は01年外相当時、ベトナムで当時の田中真紀子外相と会談し、記者団に日本語で「靖国参拝をやめなさいと厳命しました」と発言。知日派かもしれませんが、その実態は中華思想に首まで浸かった高圧的な人物のようで、聖徳太子のように全国民一丸となって対等な関係を迫るべきです。

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