憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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11260718 | [PR] |
12310800 | 大晦日に思う |
今年一年を振り返る時期になりました。
誰もが今年最大の出来事として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が記憶に留められることでしょう。
今年を振り返ると、私は航空自衛隊松島基地の松島救難隊の初動に疑問を感じています。
建設的な「意見」ではないと、大切な友人から叱られそうですが、背景に航空自衛隊の地域における災害派遣に対する認識の甘さがあるのではないかと懸念もあり、敢えてここに疑問を呈するものです。
航空自衛隊の救難隊は、航空支援集団隷下の航空救難団に所属し、日本全国に10個救難隊と4個ヘリコプター空輸隊があります。
任務は航空自衛隊だけでなく自衛隊所属機が墜落事故などでの機体・乗員捜索、救助活動です。さらに、他の救助機関が出動が困難である場合に、「災害派遣」として急患輸送、山岳・海上遭難者の捜索救助活動も行っています。
直接救助に当たる救難員(メディック)は、体力だけでなく様々な状況下でのサバイバル技術と医療応急処置の知識も持っており、航空自衛隊の中でも非常に高い練度を要求される部隊です。
救難員は、陸自の空挺レンジャー、海自のEODの両方の技術を持っています。
私が問題視しているのは、救難隊の出動態勢は24時間待機と記憶しており、常に緊急発進に備えられているのに、今回の震災では、離陸した様子はありません。
地元紙である河北新報社の報道では、U-125救難捜索機×2、UH-60J救難ヘリ×4が水没したとされており、救難隊は地震から津波の発生まで何ら行動しなかったことになります。
私はF-2戦闘機の離陸まで求めはしませんし、離陸までの諸作業、教育部隊という性質から戦闘機(練習機)の緊急発進は不可能だと思います。離陸までの諸作業に当たる人員の生命の安全を考えれば、F-2は諦めて当然だと思います。
しかし、緊急対応部隊であるはずの救難隊のヘリが離陸していないのは、職務怠慢とは言いませんが、地震に対する警戒感の欠如、地震被害に対する救難行動の認識の欠如などあったのではないかと思うのです。
陸自東北方面航空隊は、偵察ヘリの離陸を地震発生後1時間以内と規定していますが、東日本大震災では離陸まで地震発生から15分で完了し偵察活動に当たっています。
海自では第73航空隊のUH-60Jが地震発生から11分後に離陸しているのです。
なぜ、松島救難隊は遅れをとり、救難ヘリを水没させてしまったのか。
資料では当初、津波の到達予想時刻は1510とされ、発災から約24分後とみられていました。24分の時間がありながら、「第1待機」である〝15分以内の出動〟ができなかったことになります。
せめて1機だけでも離陸が可能ではなかったのか…。
津波により被害を受けることになる陸自第6師団隷下第22普通科連隊連隊長、発災から10分後に出動可能全艦艇に緊急出港命令を下した海自自衛艦隊司令官とは雲泥の差です。
こうしたことが起きた背景に何があるのか。
そこには、陸海自衛隊と国民との距離感、航空自衛隊と国民との距離感の違いがあるのではないでしょうか。
津波が東北・関東の太平洋沿岸に甚大な被害を及ぼし、直後から航空自衛隊救難団は目覚しい活躍をしてくれました。しかし、松島救難隊の初動ミスは隠し切れるものではありません。
マクロの陸海自衛隊に比べ、ミクロの航空自衛隊の行動がこうした結果に繋がったように私は捉えています。そして、高い技術者集団である航空自衛隊としての誇りが、こうした事態を招いたのだとも考えます。
当たらない地震予知ですが、政府の有識者会議が東海・東南海・南海で予想される巨大地震で、震源域などの想定が従来のものから約2倍に拡げられるようです。
来る来ないはともかく、地震国である我が国ですから、地震に対する備えは充分行われなければなりません。
東日本大震災で、自衛隊は大規模震災のシナリオをそのまま東日本に移行した作戦を展開しましたが、さらなる陸海空連携の想定を至急行い、遺漏のないよう改善されるべきではないでしょうか。
来年は災害の少ない年でありますように。皆さんにとってより良い年になりますようお祈りしております。
誰もが今年最大の出来事として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が記憶に留められることでしょう。
今年を振り返ると、私は航空自衛隊松島基地の松島救難隊の初動に疑問を感じています。
建設的な「意見」ではないと、大切な友人から叱られそうですが、背景に航空自衛隊の地域における災害派遣に対する認識の甘さがあるのではないかと懸念もあり、敢えてここに疑問を呈するものです。
航空自衛隊の救難隊は、航空支援集団隷下の航空救難団に所属し、日本全国に10個救難隊と4個ヘリコプター空輸隊があります。
任務は航空自衛隊だけでなく自衛隊所属機が墜落事故などでの機体・乗員捜索、救助活動です。さらに、他の救助機関が出動が困難である場合に、「災害派遣」として急患輸送、山岳・海上遭難者の捜索救助活動も行っています。
直接救助に当たる救難員(メディック)は、体力だけでなく様々な状況下でのサバイバル技術と医療応急処置の知識も持っており、航空自衛隊の中でも非常に高い練度を要求される部隊です。
救難員は、陸自の空挺レンジャー、海自のEODの両方の技術を持っています。
私が問題視しているのは、救難隊の出動態勢は24時間待機と記憶しており、常に緊急発進に備えられているのに、今回の震災では、離陸した様子はありません。
地元紙である河北新報社の報道では、U-125救難捜索機×2、UH-60J救難ヘリ×4が水没したとされており、救難隊は地震から津波の発生まで何ら行動しなかったことになります。
私はF-2戦闘機の離陸まで求めはしませんし、離陸までの諸作業、教育部隊という性質から戦闘機(練習機)の緊急発進は不可能だと思います。離陸までの諸作業に当たる人員の生命の安全を考えれば、F-2は諦めて当然だと思います。
しかし、緊急対応部隊であるはずの救難隊のヘリが離陸していないのは、職務怠慢とは言いませんが、地震に対する警戒感の欠如、地震被害に対する救難行動の認識の欠如などあったのではないかと思うのです。
陸自東北方面航空隊は、偵察ヘリの離陸を地震発生後1時間以内と規定していますが、東日本大震災では離陸まで地震発生から15分で完了し偵察活動に当たっています。
海自では第73航空隊のUH-60Jが地震発生から11分後に離陸しているのです。
なぜ、松島救難隊は遅れをとり、救難ヘリを水没させてしまったのか。
資料では当初、津波の到達予想時刻は1510とされ、発災から約24分後とみられていました。24分の時間がありながら、「第1待機」である〝15分以内の出動〟ができなかったことになります。
せめて1機だけでも離陸が可能ではなかったのか…。
津波により被害を受けることになる陸自第6師団隷下第22普通科連隊連隊長、発災から10分後に出動可能全艦艇に緊急出港命令を下した海自自衛艦隊司令官とは雲泥の差です。
こうしたことが起きた背景に何があるのか。
そこには、陸海自衛隊と国民との距離感、航空自衛隊と国民との距離感の違いがあるのではないでしょうか。
津波が東北・関東の太平洋沿岸に甚大な被害を及ぼし、直後から航空自衛隊救難団は目覚しい活躍をしてくれました。しかし、松島救難隊の初動ミスは隠し切れるものではありません。
マクロの陸海自衛隊に比べ、ミクロの航空自衛隊の行動がこうした結果に繋がったように私は捉えています。そして、高い技術者集団である航空自衛隊としての誇りが、こうした事態を招いたのだとも考えます。
当たらない地震予知ですが、政府の有識者会議が東海・東南海・南海で予想される巨大地震で、震源域などの想定が従来のものから約2倍に拡げられるようです。
来る来ないはともかく、地震国である我が国ですから、地震に対する備えは充分行われなければなりません。
東日本大震災で、自衛隊は大規模震災のシナリオをそのまま東日本に移行した作戦を展開しましたが、さらなる陸海空連携の想定を至急行い、遺漏のないよう改善されるべきではないでしょうか。
来年は災害の少ない年でありますように。皆さんにとってより良い年になりますようお祈りしております。
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