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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :09/22/01:52

07060700 3.11大震災

震災に関する検証が行われないまま、前に進もうとするのは全くの無意味な行為だと思います。

次の同じような規模の災害が襲ってこない確率はゼロでない以上、早急に全てを精査して今後の対策に生かさなければ、津波で亡くなられた方達をはじめ、多くの被災した皆さんの犠牲が全くの無駄に終わってしまいます。






発災後、津波被害の深刻さを訴えるため、某俳優がブログ上で「餓死」する人が多数いると書き込み、発災からの時間の経過を考えると餓死はしないと一転、批判の対象となりましたが、実際には津波による死亡ではなく、せっかく助かっても、ずぶ濡れとなり11日の夜間の冷え込みなどで低体温などに多くの方が亡くなったのは〝事実〟です。

避難所で暖をとれるまで、こうして亡くなった方は多くいるはずです。

こうした情報の錯綜で、事実が精査されないまま先へと進んで行こうとしています。


今回の巨大津波は、ある「不幸」が付きまとっています。

津波の被災地は、これまでにも巨大津波が何度か襲い、教訓が得られていたはずですが、それは生かされることはありませんでした。

それを愚かな事だとは思いません。過去の教訓をこれまで活かすことは難しく、かつての巨大津波が時間の経過とともに忘れ去られてしまったのは、むしろ当然の結果だと思います。

大きな被害が出た岩手県大槌町は、町長が津波に流され亡くなりました。

老朽化し地震発生後、老朽化した庁舎では危険と判断され、災害対策本部は屋外に置かれました。

町の防災無線は津波警報の発令を告げる中、役場では対策本部を庁舎玄関脇の駐車場に準備していました。

「津波だ」と誰かが叫び、遠くから黒い波が押し寄せてくるのが見えたそうです。

周囲には逃げる場所はなく、庁舎の屋上しかありませんでした。

2階から屋上に続く幅30cmの鉄製の梯子に、職員60人が殺到し、津波到達前に屋上にたどり着けたのは22人だけでした。

町長は庁舎から500m以上離れた場所で遺体で見つかりました。

大槌町では、庁舎が使用不能となることは想定されていなかったそうです。

「まさか防潮堤を越えて津波が来る」とは思ってもいなかったとは職員の被災後の言葉です。51年前のチリ地震津波で床上浸水し、津波による何らかの被害は想定できたにもかかわらず、町には津波に対する危機感が失われていたのではないでしょうか。

「過去の歴史を学ばない」とは、中韓の日本批判のお決まりのセリフですが、日本人は歴史を学ばなくなったのは事実なのかもしれません。

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