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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :09/22/22:30

06240700 震災の教訓

災害派遣で、被災地からの感謝の声ばかり伝えられていますが、本当に感謝の声しかないのでしょうか。

一部では、被災者だけでなく野次馬からの心無い言葉が現場の隊員たちにぶつけられたようですが、こうした〝事実〟は取り上げられることはありません。

日本人の好む「終わりよければ全て善し」といった感情が、こうしたことになったのだとは思いますが、今後のためにもこうした事実は公にされるべきです。






そんな心配もありますが、心打たれるエピソードも伝えられています。

「全ての活動は被災者のために!」を合言葉に陸自第14旅団(香川県善通寺市駐屯)は活動しましたが、14旅団が宮城県石巻市大川小学校近くの宿営地に、女児が訪ね手紙を渡されたそうです。

手紙は動物のイラストが描かれた可愛らしい便箋に、「つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう」と書いてあったそうです。

旅団はこの手紙をコピーして、活動する隊員たちに配ったそうです。多くの隊員は財布などに入れて持ち歩いたそうです。

自然災害という無限の力を持つ敵と立ち向かった隊員たちにとって、この手紙でたくさんのエネルギーをもらったことでしょう。

災害派遣とはいえ、対応は「有事」に準ずるもので、隊員達は「国民の命を守る」という使命感で立ち向かったのです。

被災地からは、「訓練のほうがもっと厳しいので肉体的には問題ない」という声がありましたが、初めて多くの遺体を目の前にした隊員達には非常に過酷な状況だったと思います。

被災者や遺族に接触し、過酷な状況から遺族からも厳しい声が聞かれたとも聞いています。

さらに、地元の部隊では家族が行方不明、自宅も津波に流されたという隊員もいました。自衛隊員だけではありません、警察官、消防官、海上保安官、消防団員、自治体職員も同じです。

救援に当たった人達が、過酷な状況下、被災者を第一に行動してくれたのです。

当事者である東電や政府と、全く違った気概がありました。

未来のために、教訓とするために、全てを精査しなければなりません。

それが、生かされた私たちの使命であり、不本意ながら亡くなられた皆さんに対する供養にもなるはずです。

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