憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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10021000 | 金剛丸に捧ぐ |
残念なニュースです。
海上自衛隊の警備犬「金剛丸」が、肺炎のため亡くなりました。
金剛丸は海上自衛隊呉造修補給所貯油所で任務に就いていますが、東日本大震災で災害派遣されました。金剛丸は全国に約50頭配置されている海上自衛隊警備犬の中で国際救助犬資格(上級)を持つ1頭でした。一緒に派遣された「妙見丸」と2頭がこの上級資格を持っていました。
3月12日から被災地に入り捜索活動に当たりました。被災地では瓦礫が津波で濡れ、臭気が奪われてしまい捜索は困難を極めたそうです。しかし、ともに水没した家屋に泳いで行き、瓦礫から突き出た釘などで足が血だらけになりながらも懸命に捜索に当たったそうです。
生存率が限界だとされる被災から72時間を迎えるまで、金剛丸・妙見丸は必死に捜索を続けました。
金剛丸・妙見丸は3月17日に帰隊。6月に入り、金剛丸は下痢が続き、一時回復しましたが肺炎により8月8日に入院。翌9日、容体が急変し亡くなったそうです。
世が世であれば、「全軍布告」され賞詞が授与されるものです。金剛丸よ安らかに眠れ!
犬に関することわざに、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」というものがあります。皆さんもご存知だと思います。
以前、台湾の皆さんが今も被災地支援をされていることをお話しましたが、義援金は7月の段階で約200億円に達しているそうです。この99%は台湾の一般の人々から自発的に寄せられたものだそうです。
台湾の人たちは、99年の台湾大地震で日本(国際消防救助隊)が真っ先に駆けつけ捜索・救助活動に当たったことなどへのの返礼だと当然のように言われますが、なかなかできることではありません。歴史的な背景が影響しているとする識者もいますが、私はそれはそれとして、台湾の皆さんの心遣いに痛み入っています。私は根本中将のようにはなれませんが、心意気だけは根本中将になろうと思っています。
こうした互助は、日本の歴史で少なからず見られます。
エルトゥールル号遭難事件でのトルコの熱い友情。
そして、ポーランド孤児たちのことです。
シベリア出兵をご存知でしょう。1918年から1922年までの間に、ロシア白軍、日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、イタリアの連合国軍がロシア革命によって囚われたチェコ軍団救出を名目にシベリアに出兵しました。ロシア革命に対する干渉が目的でした。
18世紀末、ポーランドは内乱状態にあり、ロシアの支配下にありました。祖国独立を求め、何度も愛国者たちは蜂起しますが失敗。蜂起した人々は家族と共に政治犯としてシベリアに流刑されます。シベリアでは寒さと伝染病に悩まされ、ポーランドの人々は過酷な状況で生き長らえるのがやっとの状態でした。
ポーランドは第一大戦後に独立を果たしますが、間もなく起きたロシア革命により、革命軍(赤軍)と皇帝派(白軍)の内戦がロシア全土に広まり、シベリアでも戦闘となり、当時10万人近いポーランド人たちも巻き込まれました。
多くのポーランド人が殺害され、親とはぐれてしまったポーランド人の子供達はシベリアに取り残されてしまいます。
当時、ウラジオストク在住のポーランド人有志が、子供だけでも祖国ポーランドへ帰還させようと1919年に「ポーランド人孤児救済委員会」を立ち上げます。
ポーランドとロシアの戦争により、孤児たちを帰還させることが不可能となり、救済委員会はヨーロッパ各国・アメリカに協力を求めますが、費用と戦略的価値のなさからどの国も求めに応じることはありませんでした。
救済委員会は最後の望みを日本に託します。救済委員会から連絡を受けた日本外務省は日本赤十字社と諮り餓死と凍死の危険にさらされている孤児たちの救済に立ち上がりました。シベリア出兵中の日本軍もこれに協力し、800名近い孤児たちが救出され日本に迎え入れられました。日本政府が救援に動き出すまでに、救済委員会から接触を受け16日という素早い対応でした。
救出された孤児たちの多くは、栄養不良で痩せ、青白い顔で下腹が膨れ、歩くのもやっとの状態でした。腸チフス、感冒、百日咳などの病気にかかっており、放浪で着ているものはボロボロ靴もなく、日本赤十字社は孤児たち一人一人に衣服などすべてを新調、ポーランド孤児たちのことを知った日本人は理髪、慰安会、義援金、慰問品など多数が集められました。孤児たちは日本で2年の療養生活を送りました。
阪神淡路大震災で、いち早く救援に動いたのはポーランドでした。被災した子供達をポーランドに招待もしてくれました。
70年後の恩返しでした。平成14年には、ポーランドをご訪問された天皇、皇后両陛下に92歳になった元ポーランド孤児とお会いになり、皇后様に「日本の助けで生きています」と両陛下にお目にかかれたことに感謝したそうです。
このようなことは、日本とベルギーの間でもかつてあり、恩を忘れてはならないことを歴史は私たちに教えてくれます。
「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」とは、犬でさえ恩を忘れないのだから、人間は恩知らずであってはならないという戒めです。
こうした、世界の日本に対する熱い想いとは違う、反日を声高に訴える国があります。
そうです、「中国」です。
日本から数兆円の政府開発援助を受けながら、自国民にはこうした援助を一切知らせず、中国の人たちからは日本に感謝のかけらすら受けることはありません。人道的見地から援助は必要であり、感謝は不要なものですが、援助のお返しに「反日教育」と「対日圧力」というのは、人の道に反するものです。
恩を仇で返し肩で風を切って闊歩する中国に、揉み手して付き合うよりも、暴力団のような国家に今こそ立ち向かうべきです。それには周辺の国々が一致団結し、中国の専横に苦しむ台湾・東南アジア各国と提携し、暴力団国家「中国」を排除すべきではないでしょうか。
皆さん、理不尽な相手に立ち向かおうではありませんか。中国を反面教師とし、「義を見てせざるは勇無きなり」とのことわざを噛み締め立ち上がろうではありませんか。
海上自衛隊の警備犬「金剛丸」が、肺炎のため亡くなりました。
金剛丸は海上自衛隊呉造修補給所貯油所で任務に就いていますが、東日本大震災で災害派遣されました。金剛丸は全国に約50頭配置されている海上自衛隊警備犬の中で国際救助犬資格(上級)を持つ1頭でした。一緒に派遣された「妙見丸」と2頭がこの上級資格を持っていました。
3月12日から被災地に入り捜索活動に当たりました。被災地では瓦礫が津波で濡れ、臭気が奪われてしまい捜索は困難を極めたそうです。しかし、ともに水没した家屋に泳いで行き、瓦礫から突き出た釘などで足が血だらけになりながらも懸命に捜索に当たったそうです。
生存率が限界だとされる被災から72時間を迎えるまで、金剛丸・妙見丸は必死に捜索を続けました。
金剛丸・妙見丸は3月17日に帰隊。6月に入り、金剛丸は下痢が続き、一時回復しましたが肺炎により8月8日に入院。翌9日、容体が急変し亡くなったそうです。
世が世であれば、「全軍布告」され賞詞が授与されるものです。金剛丸よ安らかに眠れ!
犬に関することわざに、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」というものがあります。皆さんもご存知だと思います。
以前、台湾の皆さんが今も被災地支援をされていることをお話しましたが、義援金は7月の段階で約200億円に達しているそうです。この99%は台湾の一般の人々から自発的に寄せられたものだそうです。
台湾の人たちは、99年の台湾大地震で日本(国際消防救助隊)が真っ先に駆けつけ捜索・救助活動に当たったことなどへのの返礼だと当然のように言われますが、なかなかできることではありません。歴史的な背景が影響しているとする識者もいますが、私はそれはそれとして、台湾の皆さんの心遣いに痛み入っています。私は根本中将のようにはなれませんが、心意気だけは根本中将になろうと思っています。
こうした互助は、日本の歴史で少なからず見られます。
エルトゥールル号遭難事件でのトルコの熱い友情。
そして、ポーランド孤児たちのことです。
シベリア出兵をご存知でしょう。1918年から1922年までの間に、ロシア白軍、日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、イタリアの連合国軍がロシア革命によって囚われたチェコ軍団救出を名目にシベリアに出兵しました。ロシア革命に対する干渉が目的でした。
18世紀末、ポーランドは内乱状態にあり、ロシアの支配下にありました。祖国独立を求め、何度も愛国者たちは蜂起しますが失敗。蜂起した人々は家族と共に政治犯としてシベリアに流刑されます。シベリアでは寒さと伝染病に悩まされ、ポーランドの人々は過酷な状況で生き長らえるのがやっとの状態でした。
ポーランドは第一大戦後に独立を果たしますが、間もなく起きたロシア革命により、革命軍(赤軍)と皇帝派(白軍)の内戦がロシア全土に広まり、シベリアでも戦闘となり、当時10万人近いポーランド人たちも巻き込まれました。
多くのポーランド人が殺害され、親とはぐれてしまったポーランド人の子供達はシベリアに取り残されてしまいます。
当時、ウラジオストク在住のポーランド人有志が、子供だけでも祖国ポーランドへ帰還させようと1919年に「ポーランド人孤児救済委員会」を立ち上げます。
ポーランドとロシアの戦争により、孤児たちを帰還させることが不可能となり、救済委員会はヨーロッパ各国・アメリカに協力を求めますが、費用と戦略的価値のなさからどの国も求めに応じることはありませんでした。
救済委員会は最後の望みを日本に託します。救済委員会から連絡を受けた日本外務省は日本赤十字社と諮り餓死と凍死の危険にさらされている孤児たちの救済に立ち上がりました。シベリア出兵中の日本軍もこれに協力し、800名近い孤児たちが救出され日本に迎え入れられました。日本政府が救援に動き出すまでに、救済委員会から接触を受け16日という素早い対応でした。
救出された孤児たちの多くは、栄養不良で痩せ、青白い顔で下腹が膨れ、歩くのもやっとの状態でした。腸チフス、感冒、百日咳などの病気にかかっており、放浪で着ているものはボロボロ靴もなく、日本赤十字社は孤児たち一人一人に衣服などすべてを新調、ポーランド孤児たちのことを知った日本人は理髪、慰安会、義援金、慰問品など多数が集められました。孤児たちは日本で2年の療養生活を送りました。
阪神淡路大震災で、いち早く救援に動いたのはポーランドでした。被災した子供達をポーランドに招待もしてくれました。
70年後の恩返しでした。平成14年には、ポーランドをご訪問された天皇、皇后両陛下に92歳になった元ポーランド孤児とお会いになり、皇后様に「日本の助けで生きています」と両陛下にお目にかかれたことに感謝したそうです。
このようなことは、日本とベルギーの間でもかつてあり、恩を忘れてはならないことを歴史は私たちに教えてくれます。
「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」とは、犬でさえ恩を忘れないのだから、人間は恩知らずであってはならないという戒めです。
こうした、世界の日本に対する熱い想いとは違う、反日を声高に訴える国があります。
そうです、「中国」です。
日本から数兆円の政府開発援助を受けながら、自国民にはこうした援助を一切知らせず、中国の人たちからは日本に感謝のかけらすら受けることはありません。人道的見地から援助は必要であり、感謝は不要なものですが、援助のお返しに「反日教育」と「対日圧力」というのは、人の道に反するものです。
恩を仇で返し肩で風を切って闊歩する中国に、揉み手して付き合うよりも、暴力団のような国家に今こそ立ち向かうべきです。それには周辺の国々が一致団結し、中国の専横に苦しむ台湾・東南アジア各国と提携し、暴力団国家「中国」を排除すべきではないでしょうか。
皆さん、理不尽な相手に立ち向かおうではありませんか。中国を反面教師とし、「義を見てせざるは勇無きなり」とのことわざを噛み締め立ち上がろうではありませんか。
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