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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :09/20/09:04

08090700 繰り返された過ち

岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」が津波で、多くの松が倒れ、その松で作った薪を京都五山送り火で燃やす計画に、検査で放射性セシウムは検出されなかったにもかかわらず、放射能汚染を懸念する意見が相次ぎ、大文字保存会は高田松原の松を使うことを断念することを決めました。





これこそが、「いわれなき放射能差別」です。

報道や言論は「自由」ではありますが、報道は事実確認、専門分野の理解があって記事が書かれなければなりません。いたずらに不安を煽るような記事は、国民を煽動するだけのもので、報道としては失格です。

しかし、原発事故後を思い出してください。最悪の事態を予測し、科学的根拠ではなく感情的な記事が目立ち、どうみても放射性物質、放射能、放射線に理解があるとは思えない記事が数多く存在していました。

『メルトダウンすると、次々と核分裂を起こし制御不能になる臨界まで一直線』など、私は笑ってしまいましたが、全く知識のない普通の人たちには、原発事故=日本の終わりをイメージしたことでしょう。

メルトダウンすると核分裂するのでは、アメリカが国家の威信をかけて作り上げた「原爆」は、もっと簡単にできたはずですし、北朝鮮やイラクは苦もなく核武装していたことでしょう。

臨界を核爆発と誤解しているわけですが、こうした話を専門家と〝見える〟人が、テレビで語るのですから、信憑性は高まります。ここまでくると、科学ではなく宗教的問題に変質してしまうのですから、否定するようであれば邪教を信ずるものと非難にさらされてしまいます。事実、不安を打ち消すような発言をしていると、「安全デマ」の烙印を押され、ブログなどは炎上しました。

中には放射能を持ち出せば、信仰が集められると大袈裟に煽ったり、販売部数が増えると目論む報道機関があるのも悲しいことに存在しています。

こうした反原発の旗頭となっている専門家、報道各社などすべてを否定するつもりはありません。しかし、いたずらに煽動することは「放射能差別」を生み、そこから人権侵害まで起きていることを私達は認識すべきでしょう。

原爆死没者慰霊碑をご存知だと思います。

慰霊碑は慰霊碑は昭和24(1949)年に成立した広島平和記念都市建設法の精神に則り建立が計画されたものでした。

慰霊碑の石室前面に、「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」と刻まれています。

これは、被曝者でもある当時広島大教授であった雑賀忠義教授の揮毫したものですが、『過ち』は誰が犯したのか議論がありました。

歴史の中に埋もれてしまいましたが、原爆投下後、広島・長崎で被爆した多くの人を差別する風潮が全国に広がりました。被爆二世などという言葉が、そうした差別があった証しです。

『過ち』は誰が犯したのか、議論は無用だったとは言いませんが、被爆差別は『過ち』だったのは説明は不要でしょう。

原発事故、放射能差別、60年以上経過し日本人は『過ち』を繰り返してしまったのは事実です。それを、私達は心に深く刻み込むべきでしょう。

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