忍者ブログ

憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

09210044 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :09/21/00:44

07290700 田舎に帰るということ

建設現場で働いていると、東北地方出身者によく出会います。

先日も現場が始まってからよく話していた岩手県出身者の二十代前半の若い職人が、「元自衛官さん、オレ、今日で最後なんですよ」と声をかけてくれました。





〝今日で最後〟の意味を尋ねると、仙台で仕事が見つかり仙台に引越すのだそうです。

実家は上下水道関係の設備工事をしており、仙台でもそのような仕事に携わるのだそうです。

「田舎の近くにいられれば、何かあってもすぐ帰れるからいいじゃないか」と喜んで送り出すことを彼に伝えました。震災を考えると、私は至極当然のことを言ったつもりです。

その日、一人で仕事を片付けていると、ある人の言葉が浮かんできました。

「もっと事の重大さを認識したほうがいい、みんなあまりにも呑気すぎる。思考停止している」と、放射能の危険性を訴える人たちの言葉です。

放射線による発ガンの危険は、「確率論」であるため、放射線を浴びた全員が一様に言えるものではありません。

今回の原発事故の収束よりも、放射線への恐怖による混乱の収束ははもっともっと時間が必要となるでしょう。

放射線に対し恐怖と安心と真っ二つに分かれ、現在は互いに攻撃し合い、全く知識を持たない事態を静観している人を翻弄させています。

放射線の危険性を訴える人は、みんな普通に話しているようで、言葉、迷い、疲れ、そして疑心暗鬼になっているのではと思える態度など、ヒステリックにさえ映ります。

個人・個人が自分の責任で考えて行動すればいいのに、放射線の危険性を語る人は、決まって横並びになることを強調します。

これでは「ファッショ」で。言葉は日本語で通じ合っているのに、話は全く通じない状態で、不安を訴える人は更にイライラを募らせているのではないでしょうか。

不安を訴える人の立場からすれば、仙台に行くという彼に、私のかけた言葉は正しかったのか尋ねてみたいです。
実家の近くに仕事を見つけ「帰る」というだけの日常の行動が、日常ではなくなった日本の現実は、原発事故による放射線による健康被害よりも、不安派と安心派の分断により、日本人の心は破壊されてしまうのではないでしょうか。

田舎の近くに就職するという日常が、日常でなくなったとは、いかに日本が異常な状態に落ちいているか。それを招いたのが、一私企業である東京電力、対応を誤った政府の責任は歴史に「汚点」として深く刻み付けられることでしょう。

拍手[4回]

PR

+コメントの投稿+

+NAME+
+TITLE+
+FONT+
+MAIL+
+URL+
+COMMENT+
+PASS+
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

+TRACK BACK+

+TRACKBACK URL+