憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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08170700 | 独裁者を裁け! |
「被災地とともに日本の復興を考える会」が、東京電力福島第一原発の事故を、菅直人首相らに対し原子炉等規制法違反と業務上過失致傷容疑で告発状を東京地検に提出しました。
この会は、高部正樹氏を代表とする会です。高部氏はパイロットを目指し空自航空学生課程で訓練を積んでいましたが、訓練中のケガにより除隊。その後、アフガンで反政府ゲリラとして参加、ミャンマーやボスニアなどで傭兵として生き抜いてきた戦場のプロです。
告発状には、菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経産相、寺坂信昭経産省原子力安全・保安院院長、斑目春樹原子力安全委員会委員長、清水正孝東電代表取締役の名が連なっています。
告発状によると、震災発生後の原発事故で原子炉内の圧力が高まり、格納容器損傷の危険があったにもかかわらずベントを行わなず水素爆発を招いた原子炉等規正法違反。ベントを行う際の周辺住民の避難を的確に行わず多数の被曝者を出した業務上過失致傷の二つが挙げられています。
被災地視察に併せ福島第一原発の視察を強行しベント実施を遅らせたことは国会でも追及され、「原発が危機的状況にあるとの報告がなかった」から視察を中止しなかったと説明していますが、原子力保安院が震災当日の22時に策定した『福島第一 二号機の今後のプラント状況の評価結果』という文書の存在が明らかになりましたが、この文書では、炉内への注水停止から50分後に炉心露出が起き、12日00時50分に燃料溶融を想定し、対策として12日03時20分にベントを行う必要があると明示さていました。
この評価により、国交省は茨城交通に避難者用のバスを手配しており、菅直人が国会で答弁した〝知らなかった〟は真っ赤なウソなのがわかります。
この状況評価は適確で、事故は文書通りに進んでいきます。
3月12日04時頃、中央制御室で毎時150μSv(マイクロシーベルト)のγ(ガンマ)線、05時頃には原発正門付近で放射性ヨウ素を検出し、政府はようやく危機を認識し、05時44分に記者会見を行いました。国交省は危機を認識していたのに、政府は全くそれすらもわかっていなかった。ですから、菅直人はこれを無視して同日06時14分に官邸から陸自ヘリで現地に向かいました。危機意識がなかった政府は、法律以前に大問題です。
菅直人は7時11分に現地に到着。08時04分までの間現地視察を強行しました。現場では、ベントにより首相を被曝させてはならないとの判断が当然働き、最優先されるべきベントが遅らされたのは言うまでもありません。
菅直人は視察後、与野党党首会談で「危機的状況にはならない」と説明しており、いかに現実の認識がなかったがわかります。この会談の最中、一号機で水素爆発が起き、菅直人の鉄面皮がはがされた瞬間でした。
トップが前線を視察することは最悪の選択です。災害等での現地視察は、てんてこ舞いの現場に不要な負担を強いることになり、事故対応する東電職員、避難誘導に当たる警察官など、周辺住民、日本国民のための貴重な時間を、菅直人は自分の延命パフォーマンスのために無駄にしてしまったのです。法律違反よりも人間性が問われるものです。
業務上過失致死傷は、遅れたベントでも原発から10㌔圏内にいる住民の避難を確認しないまま実施し、避難者を被曝させました。
「議会制民主主義は期限付きの独裁政治」と、菅直人が口にしましたが、独裁者気取りなのか疑ってしまいましたが、震災・原発事故対応を見れば、独裁者気取りなのは伊達ではないようです。
かつての戦争で、スターリンは前線に人民委員部所属の部隊が配置され、戦闘の恐怖から怖気づいた兵士を容赦なく射殺して前線の兵士たちを督戦しました。こうした存在は、日中戦争での中国軍にもあり、南京攻略戦で暗躍し、この犠牲者が南京事件の犠牲者としてカウントされているとする説もあります。
朝鮮戦争では毛沢東が同じ手法で、米軍との戦闘の犠牲者以上に味方の兵士を殺害しています。独裁者はこうした人命・人権を平然と無視します。
被災地である宮城県石巻出身の安住淳も、独裁者気取りなのもわすれてはなりません。
不足するガソリンを「プールに貯蔵できないか」とバカな発言をしたことで名を上げましたが、自衛隊の防諜を担当する情報保全隊を民主党に逆らうような人物調査をさせたので有名です。
独裁者・独裁者気取りを闊歩させる余裕など日本にはありませんし、日本は民主国家ですので、民主党の独裁者代表選ではなく国民に信を問うべきではないでしょうか。
この会は、高部正樹氏を代表とする会です。高部氏はパイロットを目指し空自航空学生課程で訓練を積んでいましたが、訓練中のケガにより除隊。その後、アフガンで反政府ゲリラとして参加、ミャンマーやボスニアなどで傭兵として生き抜いてきた戦場のプロです。
告発状には、菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経産相、寺坂信昭経産省原子力安全・保安院院長、斑目春樹原子力安全委員会委員長、清水正孝東電代表取締役の名が連なっています。
告発状によると、震災発生後の原発事故で原子炉内の圧力が高まり、格納容器損傷の危険があったにもかかわらずベントを行わなず水素爆発を招いた原子炉等規正法違反。ベントを行う際の周辺住民の避難を的確に行わず多数の被曝者を出した業務上過失致傷の二つが挙げられています。
被災地視察に併せ福島第一原発の視察を強行しベント実施を遅らせたことは国会でも追及され、「原発が危機的状況にあるとの報告がなかった」から視察を中止しなかったと説明していますが、原子力保安院が震災当日の22時に策定した『福島第一 二号機の今後のプラント状況の評価結果』という文書の存在が明らかになりましたが、この文書では、炉内への注水停止から50分後に炉心露出が起き、12日00時50分に燃料溶融を想定し、対策として12日03時20分にベントを行う必要があると明示さていました。
この評価により、国交省は茨城交通に避難者用のバスを手配しており、菅直人が国会で答弁した〝知らなかった〟は真っ赤なウソなのがわかります。
この状況評価は適確で、事故は文書通りに進んでいきます。
3月12日04時頃、中央制御室で毎時150μSv(マイクロシーベルト)のγ(ガンマ)線、05時頃には原発正門付近で放射性ヨウ素を検出し、政府はようやく危機を認識し、05時44分に記者会見を行いました。国交省は危機を認識していたのに、政府は全くそれすらもわかっていなかった。ですから、菅直人はこれを無視して同日06時14分に官邸から陸自ヘリで現地に向かいました。危機意識がなかった政府は、法律以前に大問題です。
菅直人は7時11分に現地に到着。08時04分までの間現地視察を強行しました。現場では、ベントにより首相を被曝させてはならないとの判断が当然働き、最優先されるべきベントが遅らされたのは言うまでもありません。
菅直人は視察後、与野党党首会談で「危機的状況にはならない」と説明しており、いかに現実の認識がなかったがわかります。この会談の最中、一号機で水素爆発が起き、菅直人の鉄面皮がはがされた瞬間でした。
トップが前線を視察することは最悪の選択です。災害等での現地視察は、てんてこ舞いの現場に不要な負担を強いることになり、事故対応する東電職員、避難誘導に当たる警察官など、周辺住民、日本国民のための貴重な時間を、菅直人は自分の延命パフォーマンスのために無駄にしてしまったのです。法律違反よりも人間性が問われるものです。
業務上過失致死傷は、遅れたベントでも原発から10㌔圏内にいる住民の避難を確認しないまま実施し、避難者を被曝させました。
「議会制民主主義は期限付きの独裁政治」と、菅直人が口にしましたが、独裁者気取りなのか疑ってしまいましたが、震災・原発事故対応を見れば、独裁者気取りなのは伊達ではないようです。
かつての戦争で、スターリンは前線に人民委員部所属の部隊が配置され、戦闘の恐怖から怖気づいた兵士を容赦なく射殺して前線の兵士たちを督戦しました。こうした存在は、日中戦争での中国軍にもあり、南京攻略戦で暗躍し、この犠牲者が南京事件の犠牲者としてカウントされているとする説もあります。
朝鮮戦争では毛沢東が同じ手法で、米軍との戦闘の犠牲者以上に味方の兵士を殺害しています。独裁者はこうした人命・人権を平然と無視します。
被災地である宮城県石巻出身の安住淳も、独裁者気取りなのもわすれてはなりません。
不足するガソリンを「プールに貯蔵できないか」とバカな発言をしたことで名を上げましたが、自衛隊の防諜を担当する情報保全隊を民主党に逆らうような人物調査をさせたので有名です。
独裁者・独裁者気取りを闊歩させる余裕など日本にはありませんし、日本は民主国家ですので、民主党の独裁者代表選ではなく国民に信を問うべきではないでしょうか。
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