忍者ブログ

憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

09230330 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :09/23/03:30

06210000 暴力団

力士による賭博問題で、暴力団との関係が問題となっています。




暴力団とは、警察やマスコミが名づけたものですが、現在では法的に正式な呼称となっています。法律で警察によって「指定」されると、暴力団として扱われることになります。

〝やくざ〟として、世界的にも認知されるようになりましたが、「博徒」や「的屋」といった生業を営む人も〝やくざ〟として認識されますが、「博徒」や「的屋」にそのスジの方が多いという事実があります。

歴史的には的屋が古いとされていますが、博徒の起源は平安時代にまで遡ることができ、任侠の世界に生きる侠客の機嫌は室町時代とされ、「渡世人」という言葉もこの頃生まれたとされています。

的屋を「香具師」などとも呼びますが、的屋は祭礼や縁日に参道や境内、門前町などで露天で店を出し、見世物などをしていたのが起源とされていますが、江戸時代では歯の民間治療をしていた辻医者、軽業、曲芸、曲独楽などで客寄せして薬や香具を売っていたことによります。

やくざは、日本の文化に深く関わってきた事実には目を向けられていません。

明治時代の自由民権運動の頃から、世の中と大きく関わるようになり、近代やくざとして吉田磯吉や小泉又次郎などの名が挙げられますが、ともに実業家であり政治家であったという事実は知られていません。吉田の系列下にあった組織は「山口組」であり、小泉の孫には小泉純一郎という〝事実〟に目を向けるべきです。

安保闘争では警察だけでなく右翼を使い騒乱を押さえ込もうとしましたが、反安保から反政府・反米闘争に変化し、当時の岸信介首相は児玉誉士夫を頼り、橋本登美三郎を使者として松葉会、錦政会(現:稲川会)、住吉会、関東尾津組の幹部に会い、協力を要請しました。各組織とも要請を受け入れ、デモを抑えることに合意しました。

右翼連合組織とも協力するよう要請され、新日本会議、全日本愛国者団体会議、日本郷友会とともに安保反対のデモと対峙させる計画でした。岸は創価学会にも協力を要請しましたが、これは断られたそうです。

このように、暴力団は実業家や政治家の手足として利用されていた「事実」があるのです。ですから、相撲の世界との結びつきも尋常ではないことは容易に推測できます。

暴力団を擁護するつもりはありませんが、これまでの歴史を無視して、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴対法)により平成3年以降、厳しい規制がかけられるようになり、全て「悪」としたやり方はいかがなものなのでしょうか。歴史を知った上で、理解する必要があったのではないでしょうか。

暴対法により、暴力団の活動は巧妙になり、一般企業へ関わりを深め、組織を擬装し、暴力団は活動範囲を海外に求め、国際化や寡占化が進み、暴力団の活動は極端に先鋭化したという事実もあります。

拍手[5回]

PR

+コメントの投稿+

+NAME+
+TITLE+
+FONT+
+MAIL+
+URL+
+COMMENT+
+PASS+
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

+TRACK BACK+

+TRACKBACK URL+