憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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11252117 | [PR] |
12210800 | お買い物気分の抜けない航空自衛隊 |
金正日の死去は東アジアに緊張を高めています。
金正日は朝鮮労働党中央委員会総書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官、朝鮮労働党中央軍事委員会委員長のポストにあり、死去によりこの4つのポストが空席になることになります。
ポストが空白になれば、政情が不安定になると予測されるのは当然です。後ろ盾を失った三男の正恩は、権力闘争をどう勝ち抜けるのか、指導者となるべき神格化されたイメージすらなく、先行きに不安を抱くのは当然でしょう。
しかし、北の支配層は、自分が生き残るために正恩を担ぎ上げ事態を沈静化させることを第一に考えることでしょうから、正恩の権力継承には疑念はでることはないでしょう。
北の暴発がないとは言いません。正恩体制が固定化するまでの間のことですし、軍が正恩に従わないようであれば、北の軍事オプション選択が現実化することになります。
東アジアの不安定化が進む中、政府は航空自衛隊の望んだF-35ライトニングⅡ導入を決めましたが、やはりドジョウさんは泥の中で周りが見えていないようです。
戦闘機の寿命は、「性能上の寿命」「後方支援上の寿命」「機体の強度上の寿命」が一般的です。
航空自衛隊での戦闘機の用途廃止時期は、機体の強度上の寿命で決められてきました。
F-4原型機の米国での初飛行は昭和33(1958)年、米海軍からの全機退役は1992(平成4)年(州空軍からの退役は96年)で、日本での運用開始は昭和47年、能力向上された機体の運用開始は昭和59年から導き出される数字は、F-4は限界を迎えており、性能上・後方支援上も問題が大きくなっています。
現在、F-4EJ改は百里基地の第7航空団第302飛行隊、新田原基地の第5航空団第301飛行隊の2個飛行隊と飛行開発実験団、第一術科学校に配備されています。
301、302飛行隊のF-4EJ改は実任務に就いてはいますが、老朽化が著しく稼働率が非常に低くなっているといわれています。
F-4EJ改はASIP(航空機構造保全プログラム)で、個々の機体の飛行実績などを個別に管理し、それにより正確な機体の疲労度と疲労限界を算定されています。F-4EJ改はいわば、ギリギリの状態で運用されているというのが現実です。
数年前には、若手のF-4パイロットが乗る機がなくなるといわれていたそうですが、現在はさらに悪化していることでしょう。
そして、F-2Bの東日本大震災での損耗と航空自衛隊は防空に大きな穴が開いているにもかかわらず、「ステルス」を欲しいがために、こうした現実を無視してF-35導入にひた走ったのです。
震災では陸自のUH-1Jが被災状況をリアルタイムで映像伝送されましたが、航空自衛隊のRF-4EJ・F-4EJ改には画像伝送能力がなく、震災では全くの役立たずでした。
知識人と呼ばれる人の中に誤解している方も少なくないようですが、表向きは第3次F-Xまで米空軍でも運用されている最新鋭機を導入し、有事の際の補給を受けやすい機種を採用してきたというものです。
しかし、実際に米空軍と共通の機体はF-15Jのみで、F-104Jは米空軍では兵装が軽武装で運用は2年で終わり、F-4はベトナム戦争では被害が大きく、戦果よりも被害が大きく71年末までに361機のF-4C、D、Eが撃墜されています。
つまり、まともなお買い物ができたのはF-15だけ。F-2では政治も絡んで、凡作を世に送り出すという醜態を見せました。
不安定要素の増した東アジア情勢ですが、F-35が我が国の防空任務に就くまでに何事も起きないよう祈るだけです。
金正日は朝鮮労働党中央委員会総書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官、朝鮮労働党中央軍事委員会委員長のポストにあり、死去によりこの4つのポストが空席になることになります。
ポストが空白になれば、政情が不安定になると予測されるのは当然です。後ろ盾を失った三男の正恩は、権力闘争をどう勝ち抜けるのか、指導者となるべき神格化されたイメージすらなく、先行きに不安を抱くのは当然でしょう。
しかし、北の支配層は、自分が生き残るために正恩を担ぎ上げ事態を沈静化させることを第一に考えることでしょうから、正恩の権力継承には疑念はでることはないでしょう。
北の暴発がないとは言いません。正恩体制が固定化するまでの間のことですし、軍が正恩に従わないようであれば、北の軍事オプション選択が現実化することになります。
東アジアの不安定化が進む中、政府は航空自衛隊の望んだF-35ライトニングⅡ導入を決めましたが、やはりドジョウさんは泥の中で周りが見えていないようです。
戦闘機の寿命は、「性能上の寿命」「後方支援上の寿命」「機体の強度上の寿命」が一般的です。
航空自衛隊での戦闘機の用途廃止時期は、機体の強度上の寿命で決められてきました。
F-4原型機の米国での初飛行は昭和33(1958)年、米海軍からの全機退役は1992(平成4)年(州空軍からの退役は96年)で、日本での運用開始は昭和47年、能力向上された機体の運用開始は昭和59年から導き出される数字は、F-4は限界を迎えており、性能上・後方支援上も問題が大きくなっています。
現在、F-4EJ改は百里基地の第7航空団第302飛行隊、新田原基地の第5航空団第301飛行隊の2個飛行隊と飛行開発実験団、第一術科学校に配備されています。
301、302飛行隊のF-4EJ改は実任務に就いてはいますが、老朽化が著しく稼働率が非常に低くなっているといわれています。
F-4EJ改はASIP(航空機構造保全プログラム)で、個々の機体の飛行実績などを個別に管理し、それにより正確な機体の疲労度と疲労限界を算定されています。F-4EJ改はいわば、ギリギリの状態で運用されているというのが現実です。
数年前には、若手のF-4パイロットが乗る機がなくなるといわれていたそうですが、現在はさらに悪化していることでしょう。
そして、F-2Bの東日本大震災での損耗と航空自衛隊は防空に大きな穴が開いているにもかかわらず、「ステルス」を欲しいがために、こうした現実を無視してF-35導入にひた走ったのです。
震災では陸自のUH-1Jが被災状況をリアルタイムで映像伝送されましたが、航空自衛隊のRF-4EJ・F-4EJ改には画像伝送能力がなく、震災では全くの役立たずでした。
知識人と呼ばれる人の中に誤解している方も少なくないようですが、表向きは第3次F-Xまで米空軍でも運用されている最新鋭機を導入し、有事の際の補給を受けやすい機種を採用してきたというものです。
しかし、実際に米空軍と共通の機体はF-15Jのみで、F-104Jは米空軍では兵装が軽武装で運用は2年で終わり、F-4はベトナム戦争では被害が大きく、戦果よりも被害が大きく71年末までに361機のF-4C、D、Eが撃墜されています。
つまり、まともなお買い物ができたのはF-15だけ。F-2では政治も絡んで、凡作を世に送り出すという醜態を見せました。
不安定要素の増した東アジア情勢ですが、F-35が我が国の防空任務に就くまでに何事も起きないよう祈るだけです。
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