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憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :12/12/00:07

11010800 喉元過ぎれば熱さを忘れる

The danger past and God forgotten.(危険が過ぎると神は忘れ去られる)

Vows made in storm are forgotten in calm.(嵐の中で立てられた誓約は、凪の中で忘れられる)

日本だけでなく英語圏でも同じようなことわざがあります。





私は東日本大震災から時間の経過と共に、日本人の中から震災当時の「想い」を忘れ去る人たちが増えているように感じています。

忘れっぽい・忘れやすいとは日本の国民性だとする説もありますが、それで済ませて本当にいいのか、震災だけでなく日本に関わる事象を忘れてしまうことは、将来の日本に大きな禍根となるのではないかと危惧しています。

忘れっぽいのに一役買っているのは、メディアによる自主規制もあるのではないでしょうか。

海外メディアでは、事件や事故、災害で犠牲になられた方のご遺体の映像を流します。

しかし、日本にはこのような習慣は全く無く、確認はできていませんが東日本大震災で某局がご遺体の映像を流してバッシングの対象になったとか。

確かに、視聴者側は「見る権利」と「見ない(見たくない)権利」を持っています。

東日本大震災の様々な記録を読むと、そこにあるのは死屍累々、「この世のものとは思えない地獄絵図」という言葉が必ず見られます。

これが映像では全く記録されていません。

こうしたご遺体に対する日本人の感覚は否定しませんが、そこに非常に危険な「現実」を見せない悪しき伝統が隠れているような気がしてならないのです。

尖閣諸島の領有権問題で、一部のメディアは日中戦争の可能性を声高に訴えています。

仮に戦争になった場合、その「事実」は当然伝えられるでしょうが、戦争の「現実」は伝えられることはないでしょう。

世界各地で戦争や紛争が絶えませんが、それらを伝えるニュース映像は「現実」を伝えていません。

焼け焦げの遺体、四肢が失われた遺体、子供の遺体…悲惨であるはずの戦争や紛争を伝える映像は無く、言葉で「事実」を伝えるだけです。

東日本大震災では、津波の被害を免れた地域にお住まいの方は、私も含めて津波被害の「現実」は目にしていないのが実情です。

しかし、被災地では老若男女を問わず、地獄絵図を目にして心に大きな痛手を抱えながら、遅々として進まない復興に夢も希望も持てないでいるのではないでしょうか。

太平洋戦争では戦場の「現実」が伝えられませんでした。

全滅を「玉砕」と言い換え、連合軍の攻撃の手が迫ると自決する老幼婦女子たち。それを「玉砕」と言い換え、戦争を綺麗ごとで済ませてきました。

東日本大震災では2万人、太平洋戦争では日本人だけで300万人を超える犠牲があったとされますが、それらを伝えるものは言葉が主体です。

犠牲者の数の数倍、数十倍の哀しみがあるにもかかわらず、それらを伝えるのは「言葉」だけで本当に済まされることなのでしょうか。

日本人の持つ遺体に対する感覚は、宗教的なものなのか疑問です。

そこには、権力におもねる日本メディアの現実があるのではないでしょうか。

瓦礫の山、破壊し尽くされた街、これだけが未来の日本に記録されて、災害の「現実」は本当に伝えられていくのでしょうか。

災害だけでなく、これから日本に襲い掛かる様々な現実を、オブラートに包んで国民に伝え、それを記録として遺すことは正しいことなのでしょうか。

東日本大震災の記録は、日本の将来を左右するものとなるのです。

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