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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :09/20/17:57

08030700 3.11

震災から5ヶ月になろうとしています。





新聞・テレビなどは発災から惨状を報じ、ある一定の時間が経過すると、決められたプロセスがあるかのごとく「復旧」を話題にし、そこに被災地の子供達の様子を交え、「新たな一歩」「子供達の笑顔」を絡め、惨状から遠ざかり、現在では被災地の様子はほとんど伝えられなくなりました。知り合いの某紙記者は、被災地に入りましたが、本社からの指示で被災地の現状ではなく、希望を持てる記事を求められたそうです。

巷では放射線量に対する不安が広がり、原発事故の責任追及は全く行われないまま時間ばかりが経過しています。私は原発事故は、津波以後の対応云々ではなく、知識を過信するあまり、何ら具体的な災害に対する検証が行われないまま、「安全」だと言いつづけ、その過信が福島を危機的状況に追い込み、さらに東北・関東に危機を招いたと考えています。津波により電源喪失を招いたのは、『人災』だったのです。「想定外」という逃げ口上が使われていますが、想定外なのは巨大地震とそれに伴う巨大津波であり、電源喪失は想定外ではなく。技術や知識に過信するあまり、何ら想定していなかった怠慢なのです。

自然の前で人間は全く無力です。しかし、幸運にも助かった方達がいらっしゃることは喜びがあると、被災しなかった我々は思い勝ちですが、助かった苦しさを味わったということは我々は想像できません。

家族と手に手を取り避難しても、巨大な津波が襲いかかり、その手を離さざるを得なかった方もいらっしゃるでしょう。手を離してしまい、生き残った方はどれほど苦しまれたことでしょう。目のまで自宅が破壊されて、肉親、友人、知人が津波に流されていくのを目にした苦しみは、私達は全く想像できません。

発災直後に現地に入られた方の話では、道は全くなく、目の前に広がるのは瓦礫の山。歴史の教科書で戦争で空襲後の写真と同じだったそうです。空にはカラスが群れをなして飛び回り、力強く存在を誇示するような鳴き、散乱した食糧や猫の死骸に群がっていた光景は、この世のものというより現実だと受け入れるには時間がかかったそうです。

人間の姿が消え、首輪をつけた犬が、カラスと目を合わせないように伏目がちに逃げるように尻尾を垂らして逃げ、少しずつ冷静さを取り戻すと、鼻を突く異臭に気がついたと語ってくれました。

生き残った苦しみもさることながら、被災された方は、津波により何もかも奪われたことに愕然としたことでしょう。肉親、友人、知人だけでなく、自分が生きてきた証しさえ津波は奪ったのです。

これは、かつての戦争で大空襲を受けた諸都市、原爆攻撃を受けた広島・長崎と共通するものがあります。

津波のせいで一瞬ですべてが消えてなくなったのです。生き残った人は、自分が生きてきた痕跡すらなくしてしまったのです。

それでも人間は生きるしかありません。

私は何ができるのか考え、少しでも被災地のためになりたいと思っています。数年がかりになるでしょう。それが、被災しなかった者の務めだと思います。

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