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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :05/21/12:18

12050800 安全神話の崩壊の本質を学ばない輩

山梨県大月市と甲州市にまたがる中央自動車道上り線の笹子トンネルでコンクリート製の天井板が崩落し、何の罪も無い人が犠牲になりました。

報道によると、目視による点検のみで打音検査は実施されておらず、原発事故と同じ人災の可能性が高まってきました。

昨今、「安心」と「安全」という言葉が一つになり、最近では使われるようになりました。

警備会社のCMなど、その典型例だと思います。

でも、ちょっと待ってください。

「安心」と「安全」を一つに繋げていいのでしょうか。





「安心」とは、“気にかかることがなく心が落ち着いていること”とあります。「気にかかる」とは主観的・感情的なものだというのがわかります。

「安全」とは、“危険が無く安心なこと”とありますので、客観的であり、それを証明するものがある科学的な面があるというのがわかります。

「安全」なのに「安心」できないこともありますし、「安全」でないのに「安心」していることもあることになります。

一時、中国産の食品等が「毒入り」として、日本産の食品に注目が集まりました。

買い物を終えた主婦がインタビューされ、「日本産だから安心」と口々に答えていましたが、日本産=安心とは言い得て妙ですが、日本産=安全とは言い切れない事実を主婦の皆さんはご存知の上で、このような答えをされていたのでしょうか。

しかし、「安全」という証明がなされても、それが全て保証されているのかというそうではありません。

ほとんどの方が誤解していますが、いかに対策が講じられていようともリスクをゼロにすることはできないのです。

リスクが許容範囲に収められるから「安全」とされ、「安全」とは絶対的なものではないことを理解しなければなりません。

私たちはついつい忘れがちですが、人間社会においてリスクは必ず付いて回ります。生きている限り、リスクはゼロではないのです。

中日本高速道路は、東電と同じ轍を踏んでしまったのです。

東電も中日本高速道路も、利益追求に奔走するあまりリスクを軽視したのが、原発事故と天井崩落事故は起きてしまったのです。

つまり、安全神話はまた崩壊したのです。

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