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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :03/29/08:18

05101210 マニアとおたくの境界

拳銃マニアが高じて自分で作ってしまった大学職員が摘発されました。






容疑者のこれまでの発言が報道されていますが、これがマニアの自己弁護であり虚勢を張っているのがわかります。

「弱いやつが強いやつに対抗するには拳銃が必要だ」
「拳銃は持ち運びが便利で、相手を一撃で倒せる。御守として持っていた」

極めつけは「銃を持つことは基本的人権」というものです。

個人の武装権を認めているのは、有名なのはアメリカ合衆国です(合衆国憲法修正第2条)が、実はアメリカ合衆国(以下、合衆国)でも、武器を携帯する権利について統一した見解が無いのです。

修正第2条
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。

まず、銃の法的規制について明確ではありません。認めるとしても、それはどの程度のものかも明確にされていません。

武装が個々人に認められるため、犯罪に銃器がしようされることになり、犯罪と偶発的な事故で多くの犠牲を出しています。

当然、銃規制を求める人、それに反対する人が出てきます。銃規制に反対な人は「銃が人を殺すわけではない。人が人を殺すのだ」と主張して反対しています。

ごもっともな話ですが、これでは根本的な問題解決にはならないでしょう。

話が横路に反れてしまいましたが、武装を基本的人権として認めているのはアメリカ合衆国です。

それが正しいかどうか、結論は出ていませんが。

私も銃器系は嫌いではありません。

しかし、工業製品としての芸術性を認めるものでって、御守にしようとは思いません。

おたくとして言わせてもらえば、車好きやバイク好きと変わらないと思っています。更に言えば、日本では武器の所持は認められていないことも熟知しています。

こうした誤解や曲解を生むのは、平和ボケのせいなのかもしれません。

軍事について学ぶことを拒否した国民の性でしょう。

個人としての高いスキルは認めますが、それが銃器密造とは道を踏み外しているどころか道を完全に間違えています。

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