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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :05/06/18:50

06170800 くだらない突っ込み!

海保は国交省の一機関で、海上の警察・消防機関として領海と排他的経済水域の警備を任務とし、主に民間船舶を対象としています。

海自は行政上別の系統の機関であり、主に他国の軍艦・軍用機を対処目標とされ、海自は防衛大臣による海上警備行動の発令により洋上の警備行動が取ることになります。




海保と海自とは関係が円滑な状態にあるかというと、そうではないという残念な現実があります。

それは、海保は第二次世界大戦終結まで高等商船学校の卒業生の旧海軍士官を中核として設立されたのに対し、海自は海軍兵学校卒業生が中核となり設立されたという背景が影響しています。

戦時中、高等商船学校卒業生は予備少尉、予備機関少尉に任官し、召集されると海防艦や特設艦艇の艦・艇長、それらの機関長となりました。

彼ら能力は兵学校出身の士官と比肩するものがありましたが、海軍では兵学校出身者が至上の存在であり、いかに高等商船学校卒業生が優秀であっても下位に位置付けられました。

戦争では兵学校出身者よりも高等商船学校卒業生のほうが戦死率が高く、この関係が後に設立された海保と海自の軋轢となりました。

戦後世代の私には無関係であり、全く関心を持てない〝事実〟ですが、このようなことが他に見られたのには笑ってしまいました。

陸自西部方面総監部主催の「九州・沖縄地区防衛協議会」で、気象分析を参加者に伝え、この行為が福岡管区気象台が「予報業務」に該当するとし、西方総監部を注意したそうです。

気象予報は戦後までは軍事機密とされ、国家(気象庁)が独占していました。

気象庁の前身は1887年に発足した内務省中央気象台でした。1945年5月、運輸省の組織となりました。1956年には運輸省の外局となり気象庁と改称されました。

内務省とはかつては「官庁の中の官庁」と呼ばれるほどで、内務大臣は内閣総理大臣に次ぐ副総理格のポストとされていました。

気象予報は軍国主義の象徴のような官庁から、文部省・運輸通信省を経て、運輸省の組織となったのです。

穿った見方でしょうが、気象予報を「軍」の匂いのする組織が関わるのを快く思わない空気があることは容易に想像できます。

災害予測を伝え、気象庁が目くじらを立てるのは、こうした背景があると見るのが妥当な見方ではないでしょうか。

まったくくだらないことです。

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