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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :05/18/16:20

01311931 正義

秋霜烈日
日本の検察官が着用するバッジのデザインを〝秋霜烈日〟というそうです。

秋の霜が一夜にして草木を枯らし、夏の灼熱の太陽の厳しさから、刑罰、権威、志操が極めて厳しく、また厳かであるこの例えが、検事の職務と理想像を表しているとされ、この言葉が使われているのだそうです。




私は個人的には小沢一郎という政治家を信用も支持もしていませんが、今回の一連の「小沢騒動」を見ていると、どうしても腑に落ちないものがあります。

今回は検察という組織が本当に〝正義〟なのか考えてみたいと思います。



東京地検特捜部の大々的な捜査、これに付随した各メディアの報道は小沢一郎が持つ『闇』に捜査の手が伸びている印象を受けます。世論調査でも、小沢一郎氏の幹事長辞任、厳しいものでは国会議員の辞任まで取沙汰されるようになっています。

私は一連の捜査の結末は、「公共工事」に関する収賄罪の立件にあると思っていました。

西松建設の事件では、「小沢事務所から天の声を得て、談合で公共事業を受注してきた」と検察は主張しました。つまり、検察は小沢一郎氏が政治家の立場を利用し、「この業者を使え」と発注者に働きかけていたとしています。

小沢騒動の家宅捜索では、業者に大しては大規模な捜索を行っていますが、小沢氏が働きかけたであろう国土交通省には全く家宅捜索が行われていないのはなぜでしょうか。

国土交通省も「国会議員及び秘書の働きかけで、個別の発注の中立公平性が確保されなくなるようなことはない」と明確に否定しています。小沢一郎氏の騒動の発端は、小沢氏の地元である岩手県の胆沢ダム工事に関するもので、ダム工事の発注者である国道交通省、同東北地方整備局には一切手が付けられていません。

さらに言えば、収賄罪の構成要件である職務権限は、野党であった小沢氏にはなく、成立することはありません。

だとすると、〝正義〟である検察は小沢氏の何を立件しようとしているのでしょうか。



ここで、考えたくありませんが、検察の『小沢潰し』の疑いがあります。

現在、政治資金規正法で〝4億円〟という大金の動きに注目集まっていますが、政治資金規正法は『形式犯』ですから、法益の侵害・危殆などはなく、私たちの身近なものでは道交法上の「免許不携帯」などが該当します。今回の騒動が、一連の動きから収賄罪の立件に向けた別件逮捕とも受け取れませんので、検察は小沢氏を潰すことが目的というが妥当ではないでしょうか。

よく思い出してみてください。「天の声」を出したとされ、その対価としてカネを集めたかのように検察はリークしており、そうしたイメージ付けが、小沢一郎辞任・民主党支持低下になったいる事実から考えると、小沢氏を潰して議員辞職にまで追い込むつもりではないでしょうか。

「巨悪を眠らせない」とは、ロッキード事件の捜査を指揮した最高検検事であった伊藤検事総長の言葉ですが、ロッキード事件では田中角栄元総理が〝巨悪〟であるかのようなイメージ付けをされましたが、実際にはロッキード社から日本に流れ55億円の工作資金のうち5億円が田中元総理に流れたのが解明できただけで、残りの90%以上のカネの流れは全く突き止められていないのです。検察は本当の巨悪は眠らせてしまったのです。

みなさんも知っておられる足利事件の再審公判で、元検事は弁護団から「現在もなお加害者とされた男性が真犯人だと思うか」との質問に押し黙り、謝罪の言葉もなく終わりました。足利事件は、私たちに検察は本当に正義なのかという警鐘を鳴らしたのではないでしょうか。

別の視点から見ると、大変興味深いものが浮かんできます。

民主党は「官僚依存から脱却」を掲げています。小沢氏は、その中心的な役割を担っており、霞ヶ関に対する締め付けを強めていました。そして、足利事件以降強くなってきた「取調べ可視化法案」の推進も小沢氏は積極的に推進しています。検事といえども〝官僚〟です。民主党の対官僚政策に抵抗する勢力〝検察〟が、こうした動きに出ていると見るのは無理でしょうか。

思い出してみてください。これまで、高級官僚の不祥事がたびたび伝えれましたが、実際に逮捕されたのは課長補佐以下。それもノンキャリアというおまけまで付いています。本来であれば、各メディアがこうした権力の暴走を止めるべきですが、日本では記者クラブ制をとり、情報を検証することなく垂れ流し状態で、メディアに権力の暴走を止めることは期待できません。日本のメディアは、権力の片棒を担ぎ、自身が権力を持つかのような振る舞いが目立ちます。

私たちは、小沢氏の騒動は何が正義なのか真剣に考えなければならない時が来たことを告げているのではないでしょうか。

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