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憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :02/11/10:39

04070700 前進あるのみ ~18~

「自粛」が連鎖しています。

浅草三社祭、東京湾大華火祭など震災を理由に中止が次々に決められています。

石原都知事は、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と花見の自粛を訴えました。

プロ野球のナイターやコンサートなど、節電という点では納得できますが、花見の自粛を求める意味はあるのでしょうか。

「自粛」が過ぎれば、経済停滞を招きかねず、私は「自粛」が蔓延することに警戒感を持っています。

上野公園の花見自粛は、上野周辺の商店の売り上げに大きく影響し倒産する商店が出ることも懸念されています。

阪神大震災では、消費の減少が復興の障害になりました。今回の震災では、被害地域が広大で、電力不足、放射性物質漏洩など種々問題があり、「自粛」を強制することは消費が落ち込む可能性が非常に高いのです。

自分の状況を言えば、被災した親族を持つ身としては、少なからず罪悪感や無力感を感じています。神仏に手を合わせることすら、現在でも迷いがあります。

自粛は喪に服す意味合いもあり、必要なことだと思いますが、「自粛」の度が過ぎるのは納得できません。「自粛」が本当に亡くなったかたや被災された方が望むことなのでしょうか。

テレビのニュースで、東京から炊き出しに被災地に行った外食チェーンの若者たちに密着した内容の放送がありました。

そこで、被災された女性が菜の花を摘んで「食べる」と嬉しそうに言っていました。そして、「亡くなった話ばかり聞いて気がつかなかったけど、季節はどんな災害がきても、ちゃんと回ってくるんですね」と微笑んでいらっしゃいました。

花見はすべきです。被災者の方を優先して花見に招待すべきではないでしょうか。

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