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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :02/09/09:59

03190800 原爆とワカメと捏造


STAP細胞の論文の真偽が問われていますが、理化学研究所からこうした不祥事と思われる事態が起きるとは残念なことです。






理化学研究所(以下、「理研」とします)は、大正6(1917)年に設立された歴史ある施設です。設立者総代として、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一氏の名があります。

理研はビタミンを発見した鈴木梅太郎博士、日本の原爆開発を担った仁科芳雄博士など日本の歴史に刻まれる研究者を多数輩出しています。

寺田寅彦、中谷宇吉郎、長岡半太郎、嵯峨根遼吉、池田菊苗、本多光太郎、湯川秀樹、朝永振一郎、菊池正士など、名前を記憶していらっしゃる方もいると思います。

理研の特筆されるところは、産学連携という当時まだなかったもので、鈴木梅太郎博士が発見したビタミンを商品化し、後に「理研ビタミン株式会社」として「ふえるワカメちゃん」「わかめスープ」など皆さんもお馴染みの商品が生み出されます。

理研から生まれた、皆さんもよくご存知の会社もあります。「リコー」です。

リコーは、理研が開発した「感光紙」の製造販売を目的に独立した理研感光紙株式会社が最初で、理研光学工業株式会社と改称され、戦後、理研コンツェルンの解体で昭和38年にリコーとなりました。

理研は研究費を自らが開発した商品でまかない、「夢の研究所」といわれてきましたが、戦後GHQにより解体を命じられ、財団法人となり特殊法人、現在の独立行政法人と変わってきました。

「2位じゃダメなんですか?」と世迷言を言った国会議員がいましたが、あの時、検討されていたスーパーコンピュータも理研のプロジェクトです。

理研は日本の科学界を牽引してきたのですが、どうしてこのような稚拙な問題が起きたのか門外漢ではありますが非常に残念です。

個人を攻撃することは容易ですが、それよりも、なぜこれを防げなかったのかをつまびらかにしていただくことが第一です。

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