憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02022141 | [PR] |
08190800 | 元自衛官流韓国考 |
歴史に学ばない国民は滅びる
韓国から指摘されることですが、実はこの言葉は吉田茂が語ったことばのようです。
「賢者は歴史の失敗を教訓として成功し、愚者は歴史の成功に酔って再び失敗する」とも語ったそうです。
韓国が日本を非難する根源的理由に使われるのが「日帝36年」と彼らが呼ぶ「日韓合邦」です。合邦を言い換え、悪逆非道の日本としてきました。日韓併合で主権が奪われ「歴史に類例を見ない悲劇」と彼らは叫びます。
光復節(朝鮮の日本からの独立を祝う韓国の祝日)で、朴槿惠大統領は「日本は過去を直視し反省することが真の勇気であると悟り、歴史認識問題を解決してほしい」と語ったそうですが、そもそも光復節は〝独立〟ではなく日本の敗戦により〝解放〟された日で、歴史認識を日本に問う前に自分たちの足下から見直して出直して欲しいものです。
このように韓国の歴史認識はネタが豊富でどこから手を付けていいかわからなくなるだけでなく、すべてが「独善」で脚色されたものばかり。そこまで日本を口汚く罵るのなら相手にする必要などないと思うのですが、難癖つけて勝ち誇ったような顔をするのは、彼らは実は誇るべきものが何も無いのではと憐れみすら感じてきます。
そもそも根源的思考が彼等と日本人では違います。
日本人の思考パターンは、東アジアといよりもアジアでヨーロッパの植民地となった東南アジアに近く、欧米先進国に似た思考をします。韓国はかつて朝鮮戦争で国家を蹂躙し体制が違う中国と同じ思考をしており、どれだけ時間をかけても接近できるものではありません。それに、韓国(中国)には中華思想があり、なお更日本との精神的接近は難しくなっています。
そうした違いにいち早く気付き警鐘を鳴らしたのは、『脱亜論』であり執筆者である福沢諭吉だったのではないでしょうか。
日本人はどうしてこうも日韓問題の解決に手間取り、逆に韓国に固執するのか。
日本ではすべてを性善説で物事が始まります。これはこれでいいのですが、韓国を儒教の国=礼儀正しい国と現実を歪曲させて受け取ろうとするのが醜悪ささえ感じます。
しかし、性善説はそもそも儒教の教えです。
韓国には儒教の教えは存在しなくなっています。というよりも、儒教の教えと中華思想が融合し日本とは比較にならないほど差別主義が浸透しています。
上下関係、対外関係だけでなく日常生活にまで中華思想が浸透し、世界にあるコリアンタウンでは人種差別が問題になっているほどです。
特定の立場に立って情報を伝達することが許されないメディアですら、独善が許される中華思想下のでは許されてしまっています。中国は共産主義という中華思想から共産主義思想へと看板を架け替えただけです。
韓国(中国)は、個人主義であり団結するという概念が無く、国家としての存続が危ぶまれる事態さえ起きかねないのですから仕方がないのかもしれません。
国家としての体を維持するため、嘘の上塗りを繰り返し、最後の味付けに怒りを利用する、これが彼らの国家維持のために必要なものなのです。
悪の存在の前に団結する国家。そのために、歴史を改竄し悪の存在を正し続けなければならないのです。
韓国では何事にも「情」で訴えようとします。論理的ではなく、情が全てなのです。盧武鉉元大統領は「憲法よりも国民情緒法がある」と言いましたが、韓国は法治国家でありながら、法は機能していません。日本統治時代に日本に協力的だった人を「親日反民族法」という法治国家としてあり得ない遡及法作り罪を問うなど我々には理解出来ないことを平然とやってのけます。
感情が第一で、法などは後回しでいいのです。ですから、いかに日本が補償し謝罪しても、情で許されないと思えば何度でも過去を掘り返す。それが論理的でなくても、彼らの「情」が許さないこと自体が最も罪深いものなのです。
天皇陛下に対する侮辱は、彼らは天皇陛下を侮辱しているのではなく日本人の面子を潰したと感じているのです。世界で最高の接遇を受ける存在であるはずの天皇陛下を侮辱できるほど、「我々は偉い」のだと彼らは思い込んでいるのです。
こうしたことは何を意味するのか。
彼らは自分たちだけで国家を運営した経験がなく、戦後に独り立ちして試行錯誤を繰り返しながら今があるのです。彼らは先進国ではなく発展途上から中進国家になったのは経済的な面だけであって、彼らの精神文化は未開国家レベルなのです。
韓国から指摘されることですが、実はこの言葉は吉田茂が語ったことばのようです。
「賢者は歴史の失敗を教訓として成功し、愚者は歴史の成功に酔って再び失敗する」とも語ったそうです。
韓国が日本を非難する根源的理由に使われるのが「日帝36年」と彼らが呼ぶ「日韓合邦」です。合邦を言い換え、悪逆非道の日本としてきました。日韓併合で主権が奪われ「歴史に類例を見ない悲劇」と彼らは叫びます。
光復節(朝鮮の日本からの独立を祝う韓国の祝日)で、朴槿惠大統領は「日本は過去を直視し反省することが真の勇気であると悟り、歴史認識問題を解決してほしい」と語ったそうですが、そもそも光復節は〝独立〟ではなく日本の敗戦により〝解放〟された日で、歴史認識を日本に問う前に自分たちの足下から見直して出直して欲しいものです。
このように韓国の歴史認識はネタが豊富でどこから手を付けていいかわからなくなるだけでなく、すべてが「独善」で脚色されたものばかり。そこまで日本を口汚く罵るのなら相手にする必要などないと思うのですが、難癖つけて勝ち誇ったような顔をするのは、彼らは実は誇るべきものが何も無いのではと憐れみすら感じてきます。
そもそも根源的思考が彼等と日本人では違います。
日本人の思考パターンは、東アジアといよりもアジアでヨーロッパの植民地となった東南アジアに近く、欧米先進国に似た思考をします。韓国はかつて朝鮮戦争で国家を蹂躙し体制が違う中国と同じ思考をしており、どれだけ時間をかけても接近できるものではありません。それに、韓国(中国)には中華思想があり、なお更日本との精神的接近は難しくなっています。
そうした違いにいち早く気付き警鐘を鳴らしたのは、『脱亜論』であり執筆者である福沢諭吉だったのではないでしょうか。
日本人はどうしてこうも日韓問題の解決に手間取り、逆に韓国に固執するのか。
日本ではすべてを性善説で物事が始まります。これはこれでいいのですが、韓国を儒教の国=礼儀正しい国と現実を歪曲させて受け取ろうとするのが醜悪ささえ感じます。
しかし、性善説はそもそも儒教の教えです。
韓国には儒教の教えは存在しなくなっています。というよりも、儒教の教えと中華思想が融合し日本とは比較にならないほど差別主義が浸透しています。
上下関係、対外関係だけでなく日常生活にまで中華思想が浸透し、世界にあるコリアンタウンでは人種差別が問題になっているほどです。
特定の立場に立って情報を伝達することが許されないメディアですら、独善が許される中華思想下のでは許されてしまっています。中国は共産主義という中華思想から共産主義思想へと看板を架け替えただけです。
韓国(中国)は、個人主義であり団結するという概念が無く、国家としての存続が危ぶまれる事態さえ起きかねないのですから仕方がないのかもしれません。
国家としての体を維持するため、嘘の上塗りを繰り返し、最後の味付けに怒りを利用する、これが彼らの国家維持のために必要なものなのです。
悪の存在の前に団結する国家。そのために、歴史を改竄し悪の存在を正し続けなければならないのです。
韓国では何事にも「情」で訴えようとします。論理的ではなく、情が全てなのです。盧武鉉元大統領は「憲法よりも国民情緒法がある」と言いましたが、韓国は法治国家でありながら、法は機能していません。日本統治時代に日本に協力的だった人を「親日反民族法」という法治国家としてあり得ない遡及法作り罪を問うなど我々には理解出来ないことを平然とやってのけます。
感情が第一で、法などは後回しでいいのです。ですから、いかに日本が補償し謝罪しても、情で許されないと思えば何度でも過去を掘り返す。それが論理的でなくても、彼らの「情」が許さないこと自体が最も罪深いものなのです。
天皇陛下に対する侮辱は、彼らは天皇陛下を侮辱しているのではなく日本人の面子を潰したと感じているのです。世界で最高の接遇を受ける存在であるはずの天皇陛下を侮辱できるほど、「我々は偉い」のだと彼らは思い込んでいるのです。
こうしたことは何を意味するのか。
彼らは自分たちだけで国家を運営した経験がなく、戦後に独り立ちして試行錯誤を繰り返しながら今があるのです。彼らは先進国ではなく発展途上から中進国家になったのは経済的な面だけであって、彼らの精神文化は未開国家レベルなのです。
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