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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :02/03/05:05

02190800 テロリストはいついかなる時代であってもテロリストでしかない

尹奉吉(ユン・ポンギル)をご存知ですか?

安重根と並び称される朝鮮人テロリストです。

尹は第一次上海事変停戦交渉中の昭和7(1932)年4月29日天長節(天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行われた祝賀式典で、要人たちに手榴弾を投げ付け多数を死傷させました。

このテロで上海居留民団行政委員長が死亡、上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将、第三艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将、第九師団長植田謙吉陸軍中将、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵らが重傷を負い、白川大将は後にテロによる負傷で亡くなってしまいます。






韓国では安重根、尹奉吉を抗日闘争の英雄としています。

安重根は伊藤博文を暗殺しましたが、暗殺事件から100年以上経って記念碑を建てようなどと言い出し、中国の反日運動と合体し実現したようですが、こうした椿事が起きてしまうのは、韓国の反日運動に何ら歴史的根拠の無いため、こうしたことが起きているのです。

韓国は従軍慰安婦問題を槍玉にして日本口撃を繰り返しますが、現在では最も問題であったはずの「強制連行」があった事実は見つかっていません。しかし、彼等は日韓合邦を「日帝36年」と称し批判していますが、当時の朝鮮総督府が韓国人を虐待した記録はほとんど見つかっていません。

当時、確かに抗日(反日)運動は存在していました。

しかし、日韓合邦となったのは李氏朝鮮の改革派が日本に援助を求め、これが日清戦争の現員となり、日本の勝利で朝鮮半島に日本が本格介入しなければならなくなった事情があるのです。

日本は近代化を進めていた時期であり、これは日本にとって非常に大きな負担となるのは明白でした。にもかかわらず国内強硬派と軍は、朝鮮を満州への足がかりにしようと画策し、反対派の重鎮であった伊藤博文が初代統監となりました。

文官が軍を統括するのは異例であり、軍は当然、この人事に反対しました。伊藤は異例の人事を強行してまで、現地軍の暴走を押し止めようとしたのだと思われます。

そんな伊藤を抗日を理由に暗殺したことは、無意味であり、テロという盲目的行為を象徴しています。

尹奉吉もまた同じく、全く無意味なテロを行ったのです。

張作霖爆殺後に息子の学良が抗日運動を始め、この運動が満州全土に広がりを見せていた頃、上海事変が起き、上海派遣軍司令官となる白川大将は昭和天皇より速やかな停戦を要望され、白川大将は参謀本部の追撃命令を無視し停戦を断行します。

この英断により、国際連盟総会で白川大将が評価され、日本を危険視している国際社会の雰囲気を好転させたといわれています。

このように、テロは全く無意味であり、それは9.11でも証明されたことです。

それでもなお、韓国はテロリストを英雄視するというのは、いかに彼らが歴史認識を誤っているかという証明でもあることを早く気付くべきあり、日本は気付かせてやるべきです。

テロは恐怖政治と同義であり、いかなる理由があろうとも許されるものではありません。その行為者を英雄などとするのは、人類に対する挑戦でしかありません。

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