憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02030411 | [PR] |
03010800 | 臨機応変に対応できますか? |
東日本大震災で当局や一部の学者から出されたのが、「想定外」という言葉でした。
まず、気象庁の会見で「これほどの地震が起こるとは想定していなかった」というものでした。
これを手本にしたように、ここから「想定外」という言葉があちこちから上がりました。
政府も12日に原発事故に、「従来想定された津波の上限をはるかに超えるような大きな津波が襲ったため…」と発表し、同様の「想定外」は政府地震調査委員会委員長等からも出ていました。
引退されているので発言を大きく取り上げたくはありませんが、与謝野馨経済財政担当大臣(当時)は、原発事故は「神様の仕業としか説明出来ない」と発言しました。日本原子力発電OBですから、原発を擁護したい気持ちはわかりますが、一国の大臣であり国民の生命・財産を守るべき立場の人間が、「神様」の責任にするのは常軌を逸したものです。
東日本大震災で使われた「想定外」を考えてみました。
地震が発生した〝三陸沖〟で〝マグニチュード9.0〟クラスの地震が〝2011年3月11日〟に起こるとは思ってもいなかったというこです。
仏教用語の「四聖諦」、身近なものでは「PDCAサイクル」というものがあるのですが、地震学会と政府、東電は無知なのか、それともやるべき事をしてこなかっただけといことになります。
神の仕業ではなく、自らが招いた人災であるのが原発事故であることを理解しなければ、人気者の安倍さんでも無条件な再稼動は容認できません。
大規模災害は得てして、人間の予想の甘いところを衝いてきます。この甘さが被害を拡大し、広い地域に惨禍を招くことになります。
大災害、危急存亡に立たされたとき、それに立ち向かえるのは不撓不屈の気概を持ち、臨機応変に対応できる人間に限定されます。
東日本大震災では政府・中央官庁が機能不全状態に陥りながらも、自治体、警察、消防、海保、自衛隊は持てる力をフルに発揮しました。
そんな中、東日本大震災の被災地で臨機応変な対応をした組織をご紹介します。
石巻専修大学です。
旧北上川流域にあり、当時は被害が比較的軽微で、災害の対応拠点としての役割を担いました。
避難してきた多くの市民を受け入れ、ヘリポート、救護所、ボランティアセンターを設け、運営は教職員と学生によって行われたそうです。
地震発生当時、大学には教職員と学生約300人がいて、指定避難場所ではないため備蓄の食糧等は少ないながらも、学生部長(当時)が「大学としては学生を守るのが第一だが、人が入れる場所がある以上、知らん顔は出来ない」と避難者の受け入れをきめました。
事務職員は「最初の10日間の記憶がほとんど無い。当時のメモを見ても思い出せない」と振り返っており、いかに当時の現場の状況が過酷であり熾烈なものであったか伺い知れる言葉です。
3月13日、残っていた学生約150人が教職員の手伝いをはじめ、彼らは床に敷いた段ボールや椅子で約4時間の睡眠時間で対応に当たりました。風呂は無く、消臭剤を使って同じ服を着ていたということです。
石巻専修大学では、学生6人、入学予定者1人が津波で亡くなりました。
学生は被災し親を亡くした子供に接し、小学校教師になることを決め、震災で何があったかを次世代に伝えると語っています。
皆さんは、あの震災で何を感じ、何をすべきか考えましたか?
老婆心ながら、何を感じ、何をすべきか考えた方、それを記憶している方は、次の災害に立ち向かえる資格を持っていると私は思います。
まず、気象庁の会見で「これほどの地震が起こるとは想定していなかった」というものでした。
これを手本にしたように、ここから「想定外」という言葉があちこちから上がりました。
政府も12日に原発事故に、「従来想定された津波の上限をはるかに超えるような大きな津波が襲ったため…」と発表し、同様の「想定外」は政府地震調査委員会委員長等からも出ていました。
引退されているので発言を大きく取り上げたくはありませんが、与謝野馨経済財政担当大臣(当時)は、原発事故は「神様の仕業としか説明出来ない」と発言しました。日本原子力発電OBですから、原発を擁護したい気持ちはわかりますが、一国の大臣であり国民の生命・財産を守るべき立場の人間が、「神様」の責任にするのは常軌を逸したものです。
東日本大震災で使われた「想定外」を考えてみました。
地震が発生した〝三陸沖〟で〝マグニチュード9.0〟クラスの地震が〝2011年3月11日〟に起こるとは思ってもいなかったというこです。
仏教用語の「四聖諦」、身近なものでは「PDCAサイクル」というものがあるのですが、地震学会と政府、東電は無知なのか、それともやるべき事をしてこなかっただけといことになります。
神の仕業ではなく、自らが招いた人災であるのが原発事故であることを理解しなければ、人気者の安倍さんでも無条件な再稼動は容認できません。
大規模災害は得てして、人間の予想の甘いところを衝いてきます。この甘さが被害を拡大し、広い地域に惨禍を招くことになります。
大災害、危急存亡に立たされたとき、それに立ち向かえるのは不撓不屈の気概を持ち、臨機応変に対応できる人間に限定されます。
東日本大震災では政府・中央官庁が機能不全状態に陥りながらも、自治体、警察、消防、海保、自衛隊は持てる力をフルに発揮しました。
そんな中、東日本大震災の被災地で臨機応変な対応をした組織をご紹介します。
石巻専修大学です。
旧北上川流域にあり、当時は被害が比較的軽微で、災害の対応拠点としての役割を担いました。
避難してきた多くの市民を受け入れ、ヘリポート、救護所、ボランティアセンターを設け、運営は教職員と学生によって行われたそうです。
地震発生当時、大学には教職員と学生約300人がいて、指定避難場所ではないため備蓄の食糧等は少ないながらも、学生部長(当時)が「大学としては学生を守るのが第一だが、人が入れる場所がある以上、知らん顔は出来ない」と避難者の受け入れをきめました。
事務職員は「最初の10日間の記憶がほとんど無い。当時のメモを見ても思い出せない」と振り返っており、いかに当時の現場の状況が過酷であり熾烈なものであったか伺い知れる言葉です。
3月13日、残っていた学生約150人が教職員の手伝いをはじめ、彼らは床に敷いた段ボールや椅子で約4時間の睡眠時間で対応に当たりました。風呂は無く、消臭剤を使って同じ服を着ていたということです。
石巻専修大学では、学生6人、入学予定者1人が津波で亡くなりました。
学生は被災し親を亡くした子供に接し、小学校教師になることを決め、震災で何があったかを次世代に伝えると語っています。
皆さんは、あの震災で何を感じ、何をすべきか考えましたか?
老婆心ながら、何を感じ、何をすべきか考えた方、それを記憶している方は、次の災害に立ち向かえる資格を持っていると私は思います。
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