憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02030101 | [PR] |
06010800 | 石巻訪問記 ~2~ |
石ノ森萬画館から歩いて「石巻まちなか復興マルシェ」(http://www.fukkoumarche.com/)に移動。
歩いて2~3分もかかりません。
ここは、「石巻うまいもん屋」さん(http://umaimonnya.exblog.jp/)が有名です。
『豪快海鮮丼』が1800円とお安く提供されますが、当然、お客さんがたくさんいたので、「石巻ぎょうざ道場」さんに入りました。
ここの店主さんはテレビにも出演され覚えていたのですが、想像以上に美味しかったです。それに、とてもリーズナブル!
餃子は焼き・揚げ・水と3種類ありますがすべて240円で餃子が6個。
私は「俺のめしありオール」870円を食させていただきました。
焼き+揚げ+水+ご飯、餃子は各6個。首都圏でこれで食べれるなんてあり得ない展開にビックリでした。
でも、3種類とも中身が同じ(店主さんに確認しました)なのに、味わいが違うのには〝やられた!〟というのが正直な感想です。
餃子をいただいた後は「石巻しみん市場」(http://www.shiminichiba.co.jp/)で海産物を購入。
料理が趣味の私ですが、地元の魚や海産物とはいえ安いです。
それに魚の色が違うのはビックリ!でした。〝鮮やか〟なんです。
都会人ぶった感覚でお節介かも知れませんが、石ノ森萬画館、石巻まちなか復興マルシェともに感じたのは、被災地の状況を発信すべきだと思います。
震災の風化が進む今、お涙頂戴でもいいと思うのです。それをしても許される資格は、凄惨な津波の被害を経験した人たちだからこそあると私は後に実感します。
続いて「石巻立町ふれあい商店街」(http://www.ishinomakimatinaka.com/fureai)に。
途中、信号待ちしていた初老の男性に道を尋ねましたが、懇切丁寧に教えていただき、信号が青から赤に変わろうとしていたので大変恐縮しました。
都会では味わえないものです。
「ふれあい商店街」では目的がありました。「萬楽堂(まんらくどう) 」さんの〝黄金ごまゆべし〟を食べたかったのです。
ここで雑学ですが、ゆべしとは柚餅子と漢字で
書き、源平時代に生まれた歴史があります。保存食。携帯食に利用され、時代とともに菓子に変化したのだそうです。
当然、柚餅子と書くほどですから柚子が使われていますが、東北では柚子は使われていません。仙台などではくるみゆべしがメジャーです。
萬楽堂さんの歴史はわかりませんが、地元ではパン屋さんとして有名なようです。
〝黄金ごまゆべし〟柔らかくゴマの味が濃いもので、ゆべし好きな東北人としてもゆべしの逸品にランクして差し支えないものでした。
ここまで移動して気になったのは、人通りが無いことです。それに、お店が津波で壊れた状態のまま閉まっているのです。街の案内板には、お店の名前が書かれた部分にテープが貼られ、テープの数はお店の数の3分の2以上でした。
復旧すらほど遠い現実に触れたように感じました。
高速バスで内陸部にある巨大ショッピングセンターの停留所を経由しますが、そこは車が多く人の多さも実感しました。そこは津波による避難所となり、お店のスタッフも大変な思いをされたと聞き及んでいますが、本来の駅前の商店街がこの状態では、今後どうなるのか老婆心ながら心配です。
さて、津波の被害の大きかった石巻ですが、石巻駅は海岸から2km以上の距離があるのですが、石巻駅前は津波により冠水し3日間水が引かなかったそうです。石巻市役所は完全に孤立、救援などが後手になったのもこうした冠水による影響と思われます。
いたるところに瓦礫や流れた車が散乱し、震災から2~3日で応急的に通行は可能となったそうですが、泥や瓦礫が完全に撤去されたのは5月になってからだと聞きました。
私の感傷ではなく、街はもう変わっていました。
復興予算は適切に使われず、口先だけの復興を唱える首相、本当にこのままでいいのでしょうか。
先述しましたが、被災地の現状は、私たちが被災者となった場合にも同じことが繰り返されることが大なのです。
被災地に目を向けないことは、自分たちの将来の不安を無視したまま先に進むことと同じなのです。
復旧などと言える状態ではありません。新しく街づくりを手がけるくらいの覚悟で事に当たらなければ、復旧はしないでしょう。そして、次の段階で復興を達成させることが目標となるでしょう。
石巻駅前から日和山公園に移動に使わせていただいたタクシーの運転手さんとお話しましたが、私の出身地と伯父たちが石巻に住んでいることを話し、「来ていいのか迷いに迷って2年以上過ぎてしまった」ことを言うと、「来て見てもらえるだけでもいいんです」とおっしゃっていただきました。
見るだけ…見るだけでも、復興などと絵空事に感じました。
何を基準にして復旧なのか、何を基準にして復興なのか、私には見当もつきませんが、瓦礫だけが無かったのは事実です。
歩いて2~3分もかかりません。
ここは、「石巻うまいもん屋」さん(http://umaimonnya.exblog.jp/)が有名です。
『豪快海鮮丼』が1800円とお安く提供されますが、当然、お客さんがたくさんいたので、「石巻ぎょうざ道場」さんに入りました。
ここの店主さんはテレビにも出演され覚えていたのですが、想像以上に美味しかったです。それに、とてもリーズナブル!
餃子は焼き・揚げ・水と3種類ありますがすべて240円で餃子が6個。
私は「俺のめしありオール」870円を食させていただきました。
焼き+揚げ+水+ご飯、餃子は各6個。首都圏でこれで食べれるなんてあり得ない展開にビックリでした。
でも、3種類とも中身が同じ(店主さんに確認しました)なのに、味わいが違うのには〝やられた!〟というのが正直な感想です。
餃子をいただいた後は「石巻しみん市場」(http://www.shiminichiba.co.jp/)で海産物を購入。
料理が趣味の私ですが、地元の魚や海産物とはいえ安いです。
それに魚の色が違うのはビックリ!でした。〝鮮やか〟なんです。
都会人ぶった感覚でお節介かも知れませんが、石ノ森萬画館、石巻まちなか復興マルシェともに感じたのは、被災地の状況を発信すべきだと思います。
震災の風化が進む今、お涙頂戴でもいいと思うのです。それをしても許される資格は、凄惨な津波の被害を経験した人たちだからこそあると私は後に実感します。
続いて「石巻立町ふれあい商店街」(http://www.ishinomakimatinaka.com/fureai)に。
途中、信号待ちしていた初老の男性に道を尋ねましたが、懇切丁寧に教えていただき、信号が青から赤に変わろうとしていたので大変恐縮しました。
都会では味わえないものです。
「ふれあい商店街」では目的がありました。「萬楽堂(まんらくどう) 」さんの〝黄金ごまゆべし〟を食べたかったのです。
ここで雑学ですが、ゆべしとは柚餅子と漢字で
書き、源平時代に生まれた歴史があります。保存食。携帯食に利用され、時代とともに菓子に変化したのだそうです。
当然、柚餅子と書くほどですから柚子が使われていますが、東北では柚子は使われていません。仙台などではくるみゆべしがメジャーです。
萬楽堂さんの歴史はわかりませんが、地元ではパン屋さんとして有名なようです。
〝黄金ごまゆべし〟柔らかくゴマの味が濃いもので、ゆべし好きな東北人としてもゆべしの逸品にランクして差し支えないものでした。
ここまで移動して気になったのは、人通りが無いことです。それに、お店が津波で壊れた状態のまま閉まっているのです。街の案内板には、お店の名前が書かれた部分にテープが貼られ、テープの数はお店の数の3分の2以上でした。
復旧すらほど遠い現実に触れたように感じました。
高速バスで内陸部にある巨大ショッピングセンターの停留所を経由しますが、そこは車が多く人の多さも実感しました。そこは津波による避難所となり、お店のスタッフも大変な思いをされたと聞き及んでいますが、本来の駅前の商店街がこの状態では、今後どうなるのか老婆心ながら心配です。
さて、津波の被害の大きかった石巻ですが、石巻駅は海岸から2km以上の距離があるのですが、石巻駅前は津波により冠水し3日間水が引かなかったそうです。石巻市役所は完全に孤立、救援などが後手になったのもこうした冠水による影響と思われます。
いたるところに瓦礫や流れた車が散乱し、震災から2~3日で応急的に通行は可能となったそうですが、泥や瓦礫が完全に撤去されたのは5月になってからだと聞きました。
私の感傷ではなく、街はもう変わっていました。
復興予算は適切に使われず、口先だけの復興を唱える首相、本当にこのままでいいのでしょうか。
先述しましたが、被災地の現状は、私たちが被災者となった場合にも同じことが繰り返されることが大なのです。
被災地に目を向けないことは、自分たちの将来の不安を無視したまま先に進むことと同じなのです。
復旧などと言える状態ではありません。新しく街づくりを手がけるくらいの覚悟で事に当たらなければ、復旧はしないでしょう。そして、次の段階で復興を達成させることが目標となるでしょう。
石巻駅前から日和山公園に移動に使わせていただいたタクシーの運転手さんとお話しましたが、私の出身地と伯父たちが石巻に住んでいることを話し、「来ていいのか迷いに迷って2年以上過ぎてしまった」ことを言うと、「来て見てもらえるだけでもいいんです」とおっしゃっていただきました。
見るだけ…見るだけでも、復興などと絵空事に感じました。
何を基準にして復旧なのか、何を基準にして復興なのか、私には見当もつきませんが、瓦礫だけが無かったのは事実です。
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