憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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03130531 | [PR] |
09111446 | 東日本大震災 |
震災から550日になりました。
メディアからは震災被災地の状況がほとんど伝えられなくなり、被災地の状況がどうなっているのか全くわかりません。
官邸前では反原発デモが行われていますが、福島県の原発周辺地域だけでなく、宮城県の南端の町にまで汚染が広まっているというのに、補償は曖昧なままで時間だけが無駄に過ぎていっています。
福島原発事故の急がなければならない補償も進んでいないのに、反原発・脱原発運動とは先走り過ぎのような思えるのは私だけでしょうか。
内閣府は先月末、東海沖から四国沖の南海トラフ沿いで巨大地震が発生した場合、関東以西の30都府県で最大で32万人以上の犠牲者が出るとの被害想定を公表しました。
冬の深夜に最大級の地震が発生、駿河湾から紀伊半島沖を中心に大津波を想定したもので、津波による死者は約7割、03年に推計された2万人超をはるかに上回るものとなっています。
蛇足ながらお伝えすれば、政府は最悪の事態に備え、特別法の検討を急ぐそうです。
もっともらしい話ですが、私は東日本大震災の検証を行わず、こうした推計だけが先走るのは、問題の解決にはならないと思います。
東日本大震災で「病院」に着目すると、巨大地震に備えるべきことが自然に浮かび上がってきます。
宮城県南三陸町の公立志津川病院は、入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、院内では看護師と看護助手3人が波に飲み込まれてしまいました。
海からの距離が400m。病院に達した津波は4階まで達しました。
移動させらなかった患者のベッドが津波の引き波に流され、医師・看護師は無力感と絶望感に包まれたそうです。
津波被害を免れた石巻赤十字病院は、津波発生当初、ほとんどの医療機関が診療不能に陥った石巻地域の医療を支えました。
想像ですが、当時は野戦病院のような状況だったことでしょう。
津波により救急車も流され、市内に動かせる救急車は2台だけでした。
12日昼頃から自衛隊などの救出が本格化すると数分おきにヘリや特殊車両が被災者を運び込みました。
搬送されてきた被災者は、恐怖感から抜け出せずほとんどの人が呆然としていたそうです。
これは、南海トラフ地震での津波に備える参考となるのではないでしょうか。
悲劇は前に進むために忘れなければならない時がきます。しかし、犠牲者を弔うためにも、東日本大震災の全てを検証し、後の災害に備える参考とするにはまだまだ忘れる時ではないように思います。
メディアからは震災被災地の状況がほとんど伝えられなくなり、被災地の状況がどうなっているのか全くわかりません。
官邸前では反原発デモが行われていますが、福島県の原発周辺地域だけでなく、宮城県の南端の町にまで汚染が広まっているというのに、補償は曖昧なままで時間だけが無駄に過ぎていっています。
福島原発事故の急がなければならない補償も進んでいないのに、反原発・脱原発運動とは先走り過ぎのような思えるのは私だけでしょうか。
内閣府は先月末、東海沖から四国沖の南海トラフ沿いで巨大地震が発生した場合、関東以西の30都府県で最大で32万人以上の犠牲者が出るとの被害想定を公表しました。
冬の深夜に最大級の地震が発生、駿河湾から紀伊半島沖を中心に大津波を想定したもので、津波による死者は約7割、03年に推計された2万人超をはるかに上回るものとなっています。
蛇足ながらお伝えすれば、政府は最悪の事態に備え、特別法の検討を急ぐそうです。
もっともらしい話ですが、私は東日本大震災の検証を行わず、こうした推計だけが先走るのは、問題の解決にはならないと思います。
東日本大震災で「病院」に着目すると、巨大地震に備えるべきことが自然に浮かび上がってきます。
宮城県南三陸町の公立志津川病院は、入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、院内では看護師と看護助手3人が波に飲み込まれてしまいました。
海からの距離が400m。病院に達した津波は4階まで達しました。
移動させらなかった患者のベッドが津波の引き波に流され、医師・看護師は無力感と絶望感に包まれたそうです。
津波被害を免れた石巻赤十字病院は、津波発生当初、ほとんどの医療機関が診療不能に陥った石巻地域の医療を支えました。
想像ですが、当時は野戦病院のような状況だったことでしょう。
津波により救急車も流され、市内に動かせる救急車は2台だけでした。
12日昼頃から自衛隊などの救出が本格化すると数分おきにヘリや特殊車両が被災者を運び込みました。
搬送されてきた被災者は、恐怖感から抜け出せずほとんどの人が呆然としていたそうです。
これは、南海トラフ地震での津波に備える参考となるのではないでしょうか。
悲劇は前に進むために忘れなければならない時がきます。しかし、犠牲者を弔うためにも、東日本大震災の全てを検証し、後の災害に備える参考とするにはまだまだ忘れる時ではないように思います。
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