憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
|
02101016 | [PR] |
12250800 | 零戦と原発安全神話 |
福島第一原発事故で最大の失態は、誰が責任を持って、どう危機管理するのかという基本中の基本が抜けたまま事故処理に追われたため、全てが後手後手に回り被害を大きなものにしてしまいました。この原因は「安全神話」にあったことは言うまでもありませんが、当事者自身が安全神話にドップリと浸かっていたからではないでしょうか。
原子力発電により結ばれた産官学の特定の関係者によって構成された〝原子力ムラ〟が考え出したとされる「安全神話」ですが、一度作ったものを「実は危険です」とは言えるはずもなく、「安全だ」と言った以上、「安全だ」と言い続けるしかないのです。「事故が起きるかもしれない(事故を起きないためにも)、もっと安全性を高めていかなけければならない」と考えていたとしても、「これは安全(大丈夫)です」と言わなければ受け入れられなくなり、全ての問題が放置されたままになります。
百田尚樹氏のデビュー作『永遠の0』が映画化され話題となっています。そこで、零戦(ゼロ戦、海軍零式艦上戦闘機)に注目が集まるのは致し方ないことでしょうが、私は零戦のイメージは原発安全神話と重なる部分があり、零戦を讃える気にはなれません。
零式とは制式採用された昭和15(1940)年は皇紀2600年にあたり、その下二桁「00」から零式とされました。
皇紀とは神武天皇即位紀元の略で、キリスト(西暦)紀元前660年とされています。
初陣となったのは昭和15年8月19日、日中戦争の戦場となっていた中国大陸でした。9月13日、重慶上空でソ連製ポリカルポフ「I-15」「I-16」計27機と交戦、30分で全機撃墜、零戦の被害は被弾4機というものでした。
「圧倒的勝利」と手放しで喜ばれていますが、I-15は複葉の旧式機であり、I-16にしても旧式であり最新鋭機の零戦とは性能は比較になりません。当然の戦果だと見るべきです。
20mm機銃×2(携行弾数60発)、7.7mm機銃×2(携行弾数各700発)の重武装であり、運動性の高さ、長大な航続力など秀でた面が多く、日米開戦後、鹵獲した零戦を分析した米軍は零戦の能力に格闘戦を避けるよう指示が出されるほどでした。しかし、零戦の欠点も見つかり対零戦戦法が考案され、零戦を目標とした性能を持つ戦闘機の開発が急がれました。
しかし、長所であるばき長大な航続距離は搭乗員に過度の負担を強いることにもなりました。自動操縦装置、航法装置がなく、搭乗員の技量と経験だけに頼る結果となり、空中戦闘で生き延びられても、帰還できず海の藻屑となった搭乗員も少なからず存在しています。
防御力不足、急降下性能、高速旋回性能、生産性など問題点がありましたが、緒戦での戦果と熟練搭乗員との組合せから大きな戦果を得ましたが、零戦の性能向上の失敗、零戦神話を信じ使い続けた海軍の判断力の欠如が多くの悲劇を生みました。
原発の安全神話のように、「無敵」と言い張るしか海軍には無かったのです。
動脈硬化のような思考、新たな視点から着目しないなど、日本人気質がさらに事態を悪化させたのです。
ヒーローは必要ですが、もっと違った視点で見ることも必要であり重要なことではないでしょうか。
PR
- +TRACKBACK URL+