憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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03110455 | [PR] |
01171455 | 阪神淡路大震災に思う |
平成17(1995)年1月17日午前5時46分、淡路島淡路市(当時:津名郡北淡町)を震源とするM7.3の地震が発生しました。神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅周辺、西宮市、宝塚市、津名郡北淡町・一宮町・津名町(淡路島)で震度7(激震)を記録しました。
被害等の詳細については、たくさんの資料があり、本日が15年目ということもあり割愛させていただきます。
震災で陸海空の自衛隊が災害派遣され、海自艦艇、空自航空機も活動しましたが、陸自は担当正面である中部方面隊は第3、第10、第13師団、第2混成団、中部方面航空隊など全隷下部隊から人員31,300人、車両3,840両、航空機93機を動員しました。人命救助、医療・給水・炊飯・入浴などの支援、物資輸送、道路啓開、廃棄物処理など多角的な活動を行いました。
ただ、初動の遅れがあり、この遅れが自衛隊への批判と繋がりました。
自衛隊は、地震発生直後から災害派遣準備が進められ待機態勢が取られました。近傍災害名目で第36普通科連隊が、阪急伊丹駅に出動しただけでした。これは、自衛隊法第83条で災害派遣には「要請」に基づいて出動するとされ(阪神淡路大震災の教訓から後に改正されました)、兵庫県知事の派遣要請を待ちました。
後に当時の貝原兵庫県知事は、各所轄単位で被害状況を調査していた警察情報が、県警警備部に報告されていたのが、警備部から県知事に報告がなされなかったため、適切な判断ができなかったと釈明しています。しかし、午前10時の時点で、知事に伝わっていた情報は、兵庫県全体で「死者4名」というあり得ない情報で、県知事はテレビを見ていなかったのか、周囲の状況を見ていなかったのか、釈明としてはあまりにも不自然極まりないものです。
県知事、そして中部方面総監が、役人根性丸出しで対応しようとした結果の産物だといえます。
阪神地区は、「軍」に対するアレルギー反応が強い地域特性があります。事実、阪神地区で行動中の隊員を、自治体職員が罵声を浴びせたということも少なからず報告されており、阪神地区以外の出身者からは想像もできないものがあります。
関西出身者から聞いたことがありますが、高校から自衛隊に進もうとすると、担任は非協力的になるというのです。「内申書は出さない」とか、「勝手に受験しろ」といったことを言われるそうです。真偽のほどは定かではありませんが、関西出身の同期生から聞きました。
後に、初動の遅れを批判された自衛隊のトップとして、東部方面総監が〝涙の会見〟をしましたが、現場での最高指揮官が、どのような想いがあったにせよ涙を見せるのは不適切な行為でした。涙は、いかなる理由があろうとも、批判に際しては「非を認めた」と曲解される可能性が高く、事実、涙の会見はマスコミで大きく取り上げられることになりました。
陸自では「地誌」が作られ、担当する地域の防災施設、食糧備蓄状況、地域での被災予想など精密なものが毎年作られています。「地誌」作成のため、都道府県、市区町村、警察、消防、自衛隊が協議を重ね地域の防災計画などが検討されます。「地誌」は自衛隊の対処計画の参考にされますが、作成されると協議した機関・団体などにも配布されます。報道などでは、神戸市役所、兵庫県庁もこの「地誌」を受け取ったことは認めていますが、震災後の調査では「地誌」の所在がまったくわからなかったそうです。当然、自衛隊との協議もなされていませんでした。
政治的な自衛隊への賛否があるのは、私は健全であり、当然のことだと思います。しかし、それはあくまでも「政治的・信条的」なものであって、地域住民の生命・財産が危急存亡のとき、何もかもが一緒くたにするのは、職務放棄であり、重大な責任問題となると考えます。
以前にもご紹介しましたが、当時、中部方面航空隊長の行動を改めてご紹介します。
午前7時14分に、中方航は「訓練」を名目に偵察機を現場に派遣しています。さらに、周辺のヘリ部隊を緊急招集しました。当時、隊長は「法の精神に従い、法を乗り越えろ」と隊員に命じたそうです。
この言葉を、私はみなさんに考えていただきたいです。
近年、国際貢献に名を借りた対米貢献により自衛隊が海外に送り出されています。災害では対米貢献ではありませんが、迅速性に欠け、被災国の「要請」がないなどを理由に、対応が遅くなっています。
法制上、被災国の要請がなければ救援隊を派遣できないのはわかりますが、法の精神は何なのか考えれば、「要請」を待つのは人間として許されるものなのでしょうか。
危急存亡のとき、持つ能力を発揮せず、法律を根拠として何もしないのはいかがなものでしょうか。
能力があるのに法律があるから人の生命・財産を守れないのなら、自衛隊の存在意義が喪失してしまいます。人を救うのに、法があるから救えないというのは、その法律は法律ではありません。
国際貢献は重要なことです。他国の災害で活動することは、日本の信頼を醸成し理解を深めてもらえる絶好の機会です。それを、自らが逃すことはあってはならないことです。
政府も国際貢献を自衛隊に要求するのであれば、大型長距離輸送機を保有させるなど、やらなければならない事がたくさんあるにも関わらず、そういったハード面を無視して海外に送り出すことは、現場の隊員に負担を強いるだけです。
話題になった事業仕分けで、自衛隊の予算が批判されましたが、素人集団が軍事組織の予算を俎上に上げて議論することは愚の骨頂です。なぜなら、軍事組織とは、無駄の典型だからです。
いつ襲来するとも知れない「敵」、いつ襲い掛かるかわからない「災害」に組織を維持し、装備を整えるのですから、無駄という論点から議論すれば、そんな組織など必要ありません。あの女議員が声高にあれこれ注文を付けていましたが、どうせなら「自衛隊解体」を叫ぶくらいのことをするなら、彼女の発言を容認できますが、あれでは、自衛隊の存在意義を無視するものであり、無理解からの発言であったといわざるを得ません。
阪神淡路大震災から15年で、マスコミはあれこれ報道していますが、私は根本的な問題解決はなされていないと思うのです。法整備が進んだ、協力関係が進んだとはいうものの、他国の災害でさえまともに対応できない政府が、はたして自らの国が大規模な災害に襲われたとき、健全に機能するのかはなはだ疑問です。
震災当時派遣された部隊が、財政問題等で縮小されたり改編ています。ですから、災害での救援に、当時のよな態勢が取れるのかも疑問です。それは、首都圏でも同じで、実際に災害が発生した場合、これまでに訓練を積み重ねてきた機能は維持できないだけでなく、それは被災者の生命の危険に直結することも私たちは認識しなければなりません。
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