憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
|
02090810 | [PR] |
09290800 | 虚言の国へようこそ |
韓国慶尚北道が10月の「独島の月」に合わせて、安龍福(アン・ヨンボク)記念館をオープンするそうです。
安龍福は朝鮮王朝時代に独島と鬱陵は朝鮮領だと日本に訴えた人物と韓国では信じられています。
安龍福なる韓国人が主張したかどうかはどうでもいいことです。これまでにも何度か採り上げてきましたが、竹島は反日大統領李承晩による国際法を無視した「李承晩ライン」を根拠に占拠したものであり、多くの日本人が謂れの無い理由から傷つけられ、殺害されてきた歴史を私たちは忘れてはならないのです。
バカは相手にしないというのが日本ではよく言われます。私もそう思っていた一人ですが、虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢従応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心の国家・国民性を持つ国に黙っていてはやり得なだけで、敢えてこの場で彼の国の隠された真実をお話します。
ちなみに、「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢従応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心」とは、朝鮮の文学者であり思想家でもあった李光洙(イ・グァンス)氏が遺した朝鮮半島の民族性です。
どのような国家でも内戦の経験があります。日本でも明治維新に名を借りた権力闘争が内戦に発展し、大きな犠牲を出しました。
第二次世界大戦後だけでもギリシャ、パラグアイ、コスタリカ、ビルマ、スーダン、チャド、コンゴ、グアテマラ、イエメン、ラオス…等の国が内戦を経験しています。
朝鮮半島では金日成が読み違えて内戦を目論み失敗し朝鮮戦争となりましたが、半島では内戦どころか虐殺がこれまでに多数横行していたことは意外に見過ごされています。
従軍慰安婦とホロコーストを同一で捉えるような話が半島から出ているそうですが、彼らの歴史を紐解くと「あなた方の手は汚れていないのか」という単純な疑問が浮かぶほど生ぬるいものではないことがわかります。
「済州島四・三事件」
1948年4月3日、在朝鮮アメリカ陸軍司令部政庁支配下にあった南朝鮮(現:大韓民国)の済州島で起こった住民蜂起に対する島民弾圧と虐殺事件です。
とにかく〝むごい〟の一語に尽きます。
資料により様々な数字が出されていますが、60,000人が虐殺され、難を逃れた島民は日本に密入国し1948年時点で280,000人の島民が1957年時点で30,000人弱に激減していたといわれています。村々は焼き尽くされ、残ったのは3割ほどだったそうです。
朝鮮半島は日本の降伏で、北緯38度線で南北が分割占領され軍政が敷かれていました。
南部には親米反日の李承晩、北部には抗日パルチザンと称する金日成が政権の基盤を固めつつありました。
1945年9月10日、朝鮮建国準備委員会支部が済州島に創設され、後に済州島人民委員会と改称します。1947年3月1日、済州島で南北統一自主独立国家樹立を訴えるデモが行われ、このデモに警察が発砲します。
この発砲で島民6人が殺害され、3月10日抗議の全島ゼネストが決行されました。
これを契機にアメリカ陸軍司令部は警察・右翼団体を済州島に送り込み弾圧が行われるようになります。
1948年、南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を決断し、済州島内で左右両派の対立が激化。
単独選挙に反対する左派島民の武装蜂起が起こり、これを鎮圧するため本土から陸軍が派遣されました。
韓国軍は蜂起した島民を厳しく取り締まり、武装蜂起した島民らはゲリラ戦で対抗します。
韓国軍は潜伏していると見られるゲリラと同調する島民の処刑を繰り返します。
この弾圧は大韓民国成立後も続けられ、韓国軍は村を襲い若者を連れ出し殺害し、女性は拉致され数週間にわたって陵辱の限りを尽くし、最終的に惨殺しました。
彼らの主張する「従軍慰安婦」のような扱いです。従軍慰安婦は惨殺されませんでしたが…。
済州島は権力闘争に敗れた両班の流刑地であり、左遷地であったことから朝鮮半島から差別され、島民たちは貧しく、日本に出稼ぎに出るほどでした。
国民性と言いますか、韓国内で責任追及は行われず、事件を語ることはタブーとされ、事件の詳細はいまだに明らかになっていません。
恐ろしい話です。
韓国では分断国家になった責任は日本の合邦だとする向きもあるようですが、そもそも反日運動は朝鮮半島の権力闘争の延長線上にあるもので、民衆からの支持が得られず国外に活動拠点を求め逃げ出したものです。
ソ連に脱出したのが金日成であり、中国に脱出したのが李承晩で、この内紛が分断国家となっただけのことなのです。
このように、何事も虚言で始まる国、それが韓国なのです。
安龍福は朝鮮王朝時代に独島と鬱陵は朝鮮領だと日本に訴えた人物と韓国では信じられています。
安龍福なる韓国人が主張したかどうかはどうでもいいことです。これまでにも何度か採り上げてきましたが、竹島は反日大統領李承晩による国際法を無視した「李承晩ライン」を根拠に占拠したものであり、多くの日本人が謂れの無い理由から傷つけられ、殺害されてきた歴史を私たちは忘れてはならないのです。
バカは相手にしないというのが日本ではよく言われます。私もそう思っていた一人ですが、虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢従応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心の国家・国民性を持つ国に黙っていてはやり得なだけで、敢えてこの場で彼の国の隠された真実をお話します。
ちなみに、「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢従応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心」とは、朝鮮の文学者であり思想家でもあった李光洙(イ・グァンス)氏が遺した朝鮮半島の民族性です。
どのような国家でも内戦の経験があります。日本でも明治維新に名を借りた権力闘争が内戦に発展し、大きな犠牲を出しました。
第二次世界大戦後だけでもギリシャ、パラグアイ、コスタリカ、ビルマ、スーダン、チャド、コンゴ、グアテマラ、イエメン、ラオス…等の国が内戦を経験しています。
朝鮮半島では金日成が読み違えて内戦を目論み失敗し朝鮮戦争となりましたが、半島では内戦どころか虐殺がこれまでに多数横行していたことは意外に見過ごされています。
従軍慰安婦とホロコーストを同一で捉えるような話が半島から出ているそうですが、彼らの歴史を紐解くと「あなた方の手は汚れていないのか」という単純な疑問が浮かぶほど生ぬるいものではないことがわかります。
「済州島四・三事件」
1948年4月3日、在朝鮮アメリカ陸軍司令部政庁支配下にあった南朝鮮(現:大韓民国)の済州島で起こった住民蜂起に対する島民弾圧と虐殺事件です。
とにかく〝むごい〟の一語に尽きます。
資料により様々な数字が出されていますが、60,000人が虐殺され、難を逃れた島民は日本に密入国し1948年時点で280,000人の島民が1957年時点で30,000人弱に激減していたといわれています。村々は焼き尽くされ、残ったのは3割ほどだったそうです。
朝鮮半島は日本の降伏で、北緯38度線で南北が分割占領され軍政が敷かれていました。
南部には親米反日の李承晩、北部には抗日パルチザンと称する金日成が政権の基盤を固めつつありました。
1945年9月10日、朝鮮建国準備委員会支部が済州島に創設され、後に済州島人民委員会と改称します。1947年3月1日、済州島で南北統一自主独立国家樹立を訴えるデモが行われ、このデモに警察が発砲します。
この発砲で島民6人が殺害され、3月10日抗議の全島ゼネストが決行されました。
これを契機にアメリカ陸軍司令部は警察・右翼団体を済州島に送り込み弾圧が行われるようになります。
1948年、南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を決断し、済州島内で左右両派の対立が激化。
単独選挙に反対する左派島民の武装蜂起が起こり、これを鎮圧するため本土から陸軍が派遣されました。
韓国軍は蜂起した島民を厳しく取り締まり、武装蜂起した島民らはゲリラ戦で対抗します。
韓国軍は潜伏していると見られるゲリラと同調する島民の処刑を繰り返します。
この弾圧は大韓民国成立後も続けられ、韓国軍は村を襲い若者を連れ出し殺害し、女性は拉致され数週間にわたって陵辱の限りを尽くし、最終的に惨殺しました。
彼らの主張する「従軍慰安婦」のような扱いです。従軍慰安婦は惨殺されませんでしたが…。
済州島は権力闘争に敗れた両班の流刑地であり、左遷地であったことから朝鮮半島から差別され、島民たちは貧しく、日本に出稼ぎに出るほどでした。
国民性と言いますか、韓国内で責任追及は行われず、事件を語ることはタブーとされ、事件の詳細はいまだに明らかになっていません。
恐ろしい話です。
韓国では分断国家になった責任は日本の合邦だとする向きもあるようですが、そもそも反日運動は朝鮮半島の権力闘争の延長線上にあるもので、民衆からの支持が得られず国外に活動拠点を求め逃げ出したものです。
ソ連に脱出したのが金日成であり、中国に脱出したのが李承晩で、この内紛が分断国家となっただけのことなのです。
このように、何事も虚言で始まる国、それが韓国なのです。
PR
- +TRACKBACK URL+