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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :01/23/08:23

07070800 科学的な分析ができない国民性

事故とは「思いがけず生じた悪い出来事」です。故意に損害を起こすことを事件と呼び区別されます。

辛坊治郎氏と岩本光弘氏の乗ったヨットが事故で浸水し、海保・海自により救助されましたが、案の定、バッシングが始まりました。

予期していた事態ですが、べたな展開にはこの国の病巣が見えてきます。







辛坊氏批判は、彼がイラク日本人人質事件で、同氏が「自己責任」で批判的な論調を展開したため、同氏の遭難は自己責任だとし批判されています。

自己責任とは、自分の行動により発生し事象は自分がとらなければならないという考え方です。他人はその内容に関し一切関わらないという主張です。

ただ、自己責任という語感だけが一人歩きし、他者に影響を与えない行動であることをアピールするために使われたり、責任を追及する際に使われるようになっています。

自己責任が乱発されるようになったのは、04年のイラク戦争下での日本人拉致・誘拐事件が発端でした。

この時、人質となった一人が朝日新聞の入管証を所持しており、朝日新聞は「契約カメラマンなので、危険地帯に侵入するのは自己責任」とコメントし、ここから〝自己責任〟という言葉が多用され人質への批判が展開されました。

中国国立清華大学劉江永教授が興味深い見解を示しています。

劉江永教授は親日家であり、中国共産党御用学者と批判されている方もいらっしゃいます。

東日本大震災による津波により原発時を引き起こした日本の状態についてコメントしたものです。

『「日本人は責任を取るのを最も恐れる民族だ」といわれています。その中には最も責任感があるという意味と最も責任感がないという2つの意味があります。前者は、規定や制度に従い、自らに課せられた事は何が何でもやり遂げる点です。その例として、危険を顧みずに「最後まで責任を持って」作業を続けている福島の英雄50人があげられます』

『後者は「責任恐怖症」とも言えます。突然襲いかかった地震・津波・原発事故に対応する制度がなく、責任を恐れて誰も政策の制定者になろうとはしませんでした』

私は劉教授の見解は妥当なものだと思います。

日本は集団主義であり、組織体制はボトムアップ型で、責任の所在を明確にはしません。

東京裁判について様々な見解がありますが、裁判自体が公正でなかったことは論じられていません。

「公正」というのは勝者が敗者を裁くという論議はありますが、上司の罪を部下に押し付け処刑された案件が多く存在しているにもかかわらず、こうした責任転嫁については論じられてはいません。

日本は組織が優先し、組織の使命は二の次に扱われています。

こうしたシステムにより自縄自縛状態となっており、これを改めることすら不可能となっています。

責任を取らなくて済むようなシステムを作り上げる一方で、権限をハッキリとさせたいという歪んだ思惑が見え隠れします。

東日本大震災を経験し、日本は何か変革がありましたか?

米国のように目的を達成するために組織改革など素早く断行しますが、日本では全くそうした動きすらありません。

権限を集中させる思考が日本人は無いのです。

このように、日本人は責任という言葉の解釈が曖昧です。

批判は批判として存在は認めますが、今回の辛坊氏の事故に関し、メディアは憶測や推測を根拠に報道しネット上の批判と同レベル。それに思想信条が影響し批判を展開するという、左翼思想共鳴者の非武装中立論と全く同じ展開です。

感情論や観念論ではなく、科学的な思考で物事を分析し判断し、そこから批判を展開しなければ、この国の未来はありません。

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