憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02281906 | [PR] |
06060700 | 災害派遣の舞台裏 |
高い評価を受ける震災における災害派遣された自衛隊ですが、その裏には様々な問題があったことは意外なほど伝えられていません。
震災翌日早朝からの隊員たちの姿を伝える報道写真を思い出していただけるでしょうか。
ゴム手袋はバラバラ、胴長もなく津波で浸水した所に入り込み、マスクもバラバラ、ヘッドランプをヘルメットに装着している隊員も何人か見られますが、ほとんどはヘッドランプなし。ご遺体捜索で、収容後の消毒などできていたのか。
陸上自衛隊第22普通科連隊。私にも浅からぬ縁のある部隊です。
連隊長國友 昭1等陸佐(防大29期)はメディアの特集記事にありましたが、震災から70日以上休みを取っていないそうです。
第22普通科連隊は東北方面隊第6師団隷下部隊で、宮城県多賀城市の多賀城駐屯地に駐屯。警備担任区域は多賀城市、塩釜市、東松島市、石巻市、名取市、登米市、気仙沼市、栗原市、大崎市、仙台市宮城野区、若林区、七ヶ浜町、松島町、女川町、南三陸町、美里町、涌谷町、利府町です。
ご覧のように、津波の被害が甚大であった地区を担当しています。
部隊は半数以上が宮城県出身者で、家を流されたり、家族を津波で失った隊員もいます。自らが被災者となりながら、隊員たちは自宅に戻ることも、家族の安否を確認することも許されず、隊員たちは被災地に向かいました。
先遣隊として出動した偵察隊からは、「道が無い」「住宅地と道路の見分けが出来ない」との絶叫のような報告が、当日の深夜から無線が飛び込んでくるようになったそうです。
第22普通科連隊は、駐屯地も津波による被害を受け、応急的派遣であったため人員・装備が限定され、救助はお年寄り、子供、女性を優先して救助し、生存が確認されても男性は後回しになり、「救助するのが遅い」と被災者から叱責されたこともあったそうです。
浸水箇所を「潜って来い」とまで言われたこともあったそうですが、被災者だけでなく野次馬からも、こうした中傷のような苦情がかなりあったそうです。
津波から72時間が生存者発見のタイムリミットだとされ、3日間は乾パン1袋で仮眠もほとんど出来ず捜索に当たったそうです。
救助を優先し、バカな最高司令官の無策な命令で急速に人員を増員したため、給養物品は後回しにされ、派遣部隊によっては1週間近くは食事も寝るところもままならない状況だったのは容易に想像できます。
車両の中で食事を摂る写真を見た方いらっしゃいますか?
何故、隊員たちは車両の中で食事をするかわかった方はいらっしゃるでしょうか?
食事がままならない被災者に対する彼らの気遣いなんです。しかし、隊員たちが口にしていたのは、冷めたレトルトパウチの食品でした。
現在でも一部の派遣隊員は、カップラーメンにおにぎりという状態だそうです。
ある小隊長は、「疲れていても、どんな状態でもやるべきことは確実にやる。やらせる」と自分への檄を込めた言葉を口にしています。
6月3日現在、人員約70,650名、航空機約310機、艦艇29隻が活動中です。
復旧すら満足できる状態ではないのに、バカな首相は、復興・復興と口にしています。
政治家や官僚は、財政を理由に公務員給与引き下げ、自衛隊員の削減を考えているようですが、今回の震災ではっきりしたように、国民の生命を守るのは最小前提なのです。財政上、給与維持、増員が無理というのであれば、国会議員を2~3割減らすとか、歳費を半分にするとか、まともな神経をしていれば、国民あっての政治家・官僚なのですから、それくらいのことは容易に実行できるでしょう。
安全を守ることは安くはないのです。人命を守るためなら、犠牲は必要なのです。
震災翌日早朝からの隊員たちの姿を伝える報道写真を思い出していただけるでしょうか。
ゴム手袋はバラバラ、胴長もなく津波で浸水した所に入り込み、マスクもバラバラ、ヘッドランプをヘルメットに装着している隊員も何人か見られますが、ほとんどはヘッドランプなし。ご遺体捜索で、収容後の消毒などできていたのか。
陸上自衛隊第22普通科連隊。私にも浅からぬ縁のある部隊です。
連隊長國友 昭1等陸佐(防大29期)はメディアの特集記事にありましたが、震災から70日以上休みを取っていないそうです。
第22普通科連隊は東北方面隊第6師団隷下部隊で、宮城県多賀城市の多賀城駐屯地に駐屯。警備担任区域は多賀城市、塩釜市、東松島市、石巻市、名取市、登米市、気仙沼市、栗原市、大崎市、仙台市宮城野区、若林区、七ヶ浜町、松島町、女川町、南三陸町、美里町、涌谷町、利府町です。
ご覧のように、津波の被害が甚大であった地区を担当しています。
部隊は半数以上が宮城県出身者で、家を流されたり、家族を津波で失った隊員もいます。自らが被災者となりながら、隊員たちは自宅に戻ることも、家族の安否を確認することも許されず、隊員たちは被災地に向かいました。
先遣隊として出動した偵察隊からは、「道が無い」「住宅地と道路の見分けが出来ない」との絶叫のような報告が、当日の深夜から無線が飛び込んでくるようになったそうです。
第22普通科連隊は、駐屯地も津波による被害を受け、応急的派遣であったため人員・装備が限定され、救助はお年寄り、子供、女性を優先して救助し、生存が確認されても男性は後回しになり、「救助するのが遅い」と被災者から叱責されたこともあったそうです。
浸水箇所を「潜って来い」とまで言われたこともあったそうですが、被災者だけでなく野次馬からも、こうした中傷のような苦情がかなりあったそうです。
津波から72時間が生存者発見のタイムリミットだとされ、3日間は乾パン1袋で仮眠もほとんど出来ず捜索に当たったそうです。
救助を優先し、バカな最高司令官の無策な命令で急速に人員を増員したため、給養物品は後回しにされ、派遣部隊によっては1週間近くは食事も寝るところもままならない状況だったのは容易に想像できます。
車両の中で食事を摂る写真を見た方いらっしゃいますか?
何故、隊員たちは車両の中で食事をするかわかった方はいらっしゃるでしょうか?
食事がままならない被災者に対する彼らの気遣いなんです。しかし、隊員たちが口にしていたのは、冷めたレトルトパウチの食品でした。
現在でも一部の派遣隊員は、カップラーメンにおにぎりという状態だそうです。
ある小隊長は、「疲れていても、どんな状態でもやるべきことは確実にやる。やらせる」と自分への檄を込めた言葉を口にしています。
6月3日現在、人員約70,650名、航空機約310機、艦艇29隻が活動中です。
復旧すら満足できる状態ではないのに、バカな首相は、復興・復興と口にしています。
政治家や官僚は、財政を理由に公務員給与引き下げ、自衛隊員の削減を考えているようですが、今回の震災ではっきりしたように、国民の生命を守るのは最小前提なのです。財政上、給与維持、増員が無理というのであれば、国会議員を2~3割減らすとか、歳費を半分にするとか、まともな神経をしていれば、国民あっての政治家・官僚なのですから、それくらいのことは容易に実行できるでしょう。
安全を守ることは安くはないのです。人命を守るためなら、犠牲は必要なのです。
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