憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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02021704 | [PR] |
06192003 | お熱いのがお好き |
『お熱いのがお好き』なんてほとんどの方、50代前半以下の方は知らないでしょう。
20世紀を代表するセックスシンボル「マリリン・モンロー」の映画です。
モンローは身長166cm、上から94-61-86、独特のモンローウォークと呼ばれた歩き方をして世の男性の熱い視線を集めていました。
でも、モンローウォークはハイヒールの高さを微妙に変えた靴を履いていたため、モンローウォークが実現したというモンローもしくはスタッフの「演出」だったのが明らかになったのは彼女の死後しばらくしてからでした。
中国軍機が海空自機に接近したとか、中国は自衛隊機が接近したとか水掛け論になっています。
以前にも書きましたが、彼ら得意の威嚇なのですが、中国スタンダードですから「得意」は世界スタンドーでは「特異」となってしまっています。
かつての戦争が侵略か自衛だったのかは別にして、侵略・自衛を唱えるどちらの側の日本人も忘れているのは、今回の中国軍機による「威嚇」が日中戦争が泥沼化する前に起きていたのです。
尼港事件 大正9(1920)年3月~5月
南京事件 昭和2(1927)年3月
漢口事件 昭和2(1927)年4月3日
済南事件 昭和3(1928)年5月3日
成都事件 昭和11(1936)年
通州事件 昭和12(1937)年7月29日
北海事件 昭和11(1936)年
広安門事件 昭和12(1937)年7月26日
小山克事件 昭和20(1945)年8月13日
葛根廟事件 昭和20(1945)年8月14日
★戦後
敦化事件 昭和20(1945)年8月27日
通化事件 昭和21(1946)年2月3日
通州事件などは記録に目を通すのも堪えがたいものです。
日本人居留民385名のうち223名が虐殺されました。
女性のほとんどは強姦され殺害に及びました。記録の一部をご紹介します。
「飲食店では40~17歳までの女性7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺されていた。日本人男子は死体のほとんどが首に縄をつけて引き回した痕跡が見られた」
「旅館では入口地悪に女将らしき女性の遺体があり、着物ははがされ銃剣で刺突され陰部は刃物でえぐられていた。男性の遺体は眼球をくりぬかれ上半身は銃剣により繰り返し刺突され蜂の巣のようであった」
まだまだありますが、これだけでも十分に猟奇さが伝わると思います。
こうした中国による民間人犠牲者を多く出し、中国への懲罰を求める日本の世論が沸騰したのは言うまでもありません。
事件の中には日本を除く外国領事館等を襲撃したものもありますが、猟奇的な虐殺行為は日本(人)だけに限られていました。
私は中国は日本を見下していたこと、日本を挑発していたことの二つは事実だと思います。
最も不思議なのは、こうした猟奇的虐殺行為は、日本人が後に中国大陸で行ったとされる虐殺行為と酷似していることです。
日本人居留民に対する虐殺行為に、目には目をとばかり日本軍が同じ事をしたのか…真実は歴史の中に埋没してしまいましたが、こうした「事実」があったこを私たちは知っておかなければなりません。
私はモンローウォークのように「演出」された猟奇的虐殺が行われ、日本を挑発していたのだと考えています。
こうした事件を中国は繰り返し、日本は兵力を大陸に送り込み泥沼にはまり込み、やがては被害者面した中国にはめられてしまうことになります。
今回の異常行動も中国の演出であるのはわかりきったことです。
メディアでは習近平が軍の暴走を止められないなどと見ているものも散見されますが、私はこれは誤りだと思います。
すべては中国共産党の演出で進められているものです。
ベトナムは直接的に米国に支援や救援を求めないことはわかりきっていますので、中国のやりたい放題状態になっています。
一方の日本は、米国がどのタイミングで動き出すかわからず、小競り合いの演出が精一杯なのです。
なにせ相手は「雑技団」の国家です。アクロバティックな技は得意中の得意です。
このような表現は適切さを欠きますが、やるだけやって、後は被害者面するのが彼らの常套手段なのです。
「お熱いのがお好き」な中国、演出されたモンローウォークをする中国。今の日本に必要なのは、臥薪嘗胆であり、万が一を考えての集団安全保障システムの構築です。
20世紀を代表するセックスシンボル「マリリン・モンロー」の映画です。
モンローは身長166cm、上から94-61-86、独特のモンローウォークと呼ばれた歩き方をして世の男性の熱い視線を集めていました。
でも、モンローウォークはハイヒールの高さを微妙に変えた靴を履いていたため、モンローウォークが実現したというモンローもしくはスタッフの「演出」だったのが明らかになったのは彼女の死後しばらくしてからでした。
中国軍機が海空自機に接近したとか、中国は自衛隊機が接近したとか水掛け論になっています。
以前にも書きましたが、彼ら得意の威嚇なのですが、中国スタンダードですから「得意」は世界スタンドーでは「特異」となってしまっています。
かつての戦争が侵略か自衛だったのかは別にして、侵略・自衛を唱えるどちらの側の日本人も忘れているのは、今回の中国軍機による「威嚇」が日中戦争が泥沼化する前に起きていたのです。
尼港事件 大正9(1920)年3月~5月
南京事件 昭和2(1927)年3月
漢口事件 昭和2(1927)年4月3日
済南事件 昭和3(1928)年5月3日
成都事件 昭和11(1936)年
通州事件 昭和12(1937)年7月29日
北海事件 昭和11(1936)年
広安門事件 昭和12(1937)年7月26日
小山克事件 昭和20(1945)年8月13日
葛根廟事件 昭和20(1945)年8月14日
★戦後
敦化事件 昭和20(1945)年8月27日
通化事件 昭和21(1946)年2月3日
通州事件などは記録に目を通すのも堪えがたいものです。
日本人居留民385名のうち223名が虐殺されました。
女性のほとんどは強姦され殺害に及びました。記録の一部をご紹介します。
「飲食店では40~17歳までの女性7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺されていた。日本人男子は死体のほとんどが首に縄をつけて引き回した痕跡が見られた」
「旅館では入口地悪に女将らしき女性の遺体があり、着物ははがされ銃剣で刺突され陰部は刃物でえぐられていた。男性の遺体は眼球をくりぬかれ上半身は銃剣により繰り返し刺突され蜂の巣のようであった」
まだまだありますが、これだけでも十分に猟奇さが伝わると思います。
こうした中国による民間人犠牲者を多く出し、中国への懲罰を求める日本の世論が沸騰したのは言うまでもありません。
事件の中には日本を除く外国領事館等を襲撃したものもありますが、猟奇的な虐殺行為は日本(人)だけに限られていました。
私は中国は日本を見下していたこと、日本を挑発していたことの二つは事実だと思います。
最も不思議なのは、こうした猟奇的虐殺行為は、日本人が後に中国大陸で行ったとされる虐殺行為と酷似していることです。
日本人居留民に対する虐殺行為に、目には目をとばかり日本軍が同じ事をしたのか…真実は歴史の中に埋没してしまいましたが、こうした「事実」があったこを私たちは知っておかなければなりません。
私はモンローウォークのように「演出」された猟奇的虐殺が行われ、日本を挑発していたのだと考えています。
こうした事件を中国は繰り返し、日本は兵力を大陸に送り込み泥沼にはまり込み、やがては被害者面した中国にはめられてしまうことになります。
今回の異常行動も中国の演出であるのはわかりきったことです。
メディアでは習近平が軍の暴走を止められないなどと見ているものも散見されますが、私はこれは誤りだと思います。
すべては中国共産党の演出で進められているものです。
ベトナムは直接的に米国に支援や救援を求めないことはわかりきっていますので、中国のやりたい放題状態になっています。
一方の日本は、米国がどのタイミングで動き出すかわからず、小競り合いの演出が精一杯なのです。
なにせ相手は「雑技団」の国家です。アクロバティックな技は得意中の得意です。
このような表現は適切さを欠きますが、やるだけやって、後は被害者面するのが彼らの常套手段なのです。
「お熱いのがお好き」な中国、演出されたモンローウォークをする中国。今の日本に必要なのは、臥薪嘗胆であり、万が一を考えての集団安全保障システムの構築です。
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