憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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03130549 | [PR] |
10111446 | 東日本大震災 |
東日本大震災から580日を迎えました。
政治家・官僚の無能さは復興を遅らせ、被災地に大きな傷痕をのこしたままになっています。
ただ、こうした無様さは被災地だけでなく、被災地ではない場所にも大きな課題を残したままでいます。
東日本大震災の津波襲来時、宮城県気仙沼市潮見町の気仙沼中央公民館には、0歳~6歳の保育園児71人を含む約450人が避難していました。
公民館は一部3階建て、津波は2階天井附近まで達し完全に孤立してしまいました。
この公民館に避難した皆さんは、やがて奇跡のような救出劇が待っていますが、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
公民館に避難していた心身障害児施設の園長が、11日夕刻、携帯電話で家族に宛てたメールを送信しました。
「公民館の屋根にいる」「火の海 ダメかも 頑張る」
メールは転送され、ロンドン在住の長男のもとに転送されました。長男はメールを読み、短文投降サイトを利用し救助メッセージを発します。
短文投降サイトが拡散され、これが猪瀬東京都副知事の目に留まり、東京消防庁のヘリが救出に派遣されます。
翌12日09時、東京消防庁のヘリが救助開始。救助に先立ち降り立った救助隊員が、「園長はいますか」と尋ねられ、園長はビックリしたそうです。
この奇跡の救出劇の裏に、私たちも学ばなければならない幾つかの教訓があります。
まず、地震発生後、保育園に保護者が駆けつけていますが、子供を引き取り車に乗せて帰ろうとするのを保育士らが引き止めたそうです。
海岸に近く、周辺道路は海岸から離れようとする車で渋滞が起きていたため、保護者を強引に引き止めました。
当時、大津波警報が出されおり、それに気付いた避難者が上階に上がるように指示があったことも避難者の犠牲を出さずに済みました。
男性が率先して子供達をより上階に上げるのを手伝ったそうです。
ただ、備蓄されていた食料や水が少なかったことがありました。
私たちの教訓となるのは、公的施設に食料や水、毛布などを大量に備蓄すること。そして、連絡手段を確保することです。
このような施設に食料などを備蓄し、消費期限が当然ありますので、例えば他地域や他国での災害に救援物資としても使えるよう移動・運搬手段も考慮すべきではないでしょうか。
連絡手段は市区町村単位の無線ネットワークの構築など、方法はいろいろあるはずです。
そして、消防(消防団)・警察・自衛隊だけでなく民間の救援隊の編成も考えるべきです。
災害だけでなく、有事にも活動する組織を編成すべきではないでしょうか。
日本人はとかく組織にこだわりますが、一朝事あらば…そう考える元消防官・元警察官・元自衛官はいるはずです。そういった人を中核に、組織だった活動が可能なよう登録制にするとか方法はあるはずです。
出来る事を片付け先に進むのはベストですが、今は出来る事すら考えず先に進み、甚大な被害想定だけが語られています。
これで本当にいいのか、私たちは被災地のためにも考えなければならないのではないでしょうか。
避難した園児の母親の告白をお伝えします。
気仙沼湾に流れ込んだ重油に火がつき、海面に漂う瓦礫に燃え移り一面火の海となったそうです。
「子どもを火で死なせるのはかわいそうで、いっそ自分の手で楽にしてあげようとまで考えた」
ある新聞で、被災地のアンテナショップの売り上げが震災前の低調なレベルになり、復興熱が冷めたのかとの記事がありました。
それはそれで、仕方が無いことだと私は思います。
しかし、あの悲劇から何も学ばず、被災しなかった地域は何もしないで済ませるのは、被災地に対する背信であり、同じ日本人として最も恥ずべき行為です。
教訓を活かすこと、それが被災しなかった地域に住む日本人に課せられた使命ではないでしょうか。
政治家・官僚の無能さは復興を遅らせ、被災地に大きな傷痕をのこしたままになっています。
ただ、こうした無様さは被災地だけでなく、被災地ではない場所にも大きな課題を残したままでいます。
東日本大震災の津波襲来時、宮城県気仙沼市潮見町の気仙沼中央公民館には、0歳~6歳の保育園児71人を含む約450人が避難していました。
公民館は一部3階建て、津波は2階天井附近まで達し完全に孤立してしまいました。
この公民館に避難した皆さんは、やがて奇跡のような救出劇が待っていますが、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
公民館に避難していた心身障害児施設の園長が、11日夕刻、携帯電話で家族に宛てたメールを送信しました。
「公民館の屋根にいる」「火の海 ダメかも 頑張る」
メールは転送され、ロンドン在住の長男のもとに転送されました。長男はメールを読み、短文投降サイトを利用し救助メッセージを発します。
短文投降サイトが拡散され、これが猪瀬東京都副知事の目に留まり、東京消防庁のヘリが救出に派遣されます。
翌12日09時、東京消防庁のヘリが救助開始。救助に先立ち降り立った救助隊員が、「園長はいますか」と尋ねられ、園長はビックリしたそうです。
この奇跡の救出劇の裏に、私たちも学ばなければならない幾つかの教訓があります。
まず、地震発生後、保育園に保護者が駆けつけていますが、子供を引き取り車に乗せて帰ろうとするのを保育士らが引き止めたそうです。
海岸に近く、周辺道路は海岸から離れようとする車で渋滞が起きていたため、保護者を強引に引き止めました。
当時、大津波警報が出されおり、それに気付いた避難者が上階に上がるように指示があったことも避難者の犠牲を出さずに済みました。
男性が率先して子供達をより上階に上げるのを手伝ったそうです。
ただ、備蓄されていた食料や水が少なかったことがありました。
私たちの教訓となるのは、公的施設に食料や水、毛布などを大量に備蓄すること。そして、連絡手段を確保することです。
このような施設に食料などを備蓄し、消費期限が当然ありますので、例えば他地域や他国での災害に救援物資としても使えるよう移動・運搬手段も考慮すべきではないでしょうか。
連絡手段は市区町村単位の無線ネットワークの構築など、方法はいろいろあるはずです。
そして、消防(消防団)・警察・自衛隊だけでなく民間の救援隊の編成も考えるべきです。
災害だけでなく、有事にも活動する組織を編成すべきではないでしょうか。
日本人はとかく組織にこだわりますが、一朝事あらば…そう考える元消防官・元警察官・元自衛官はいるはずです。そういった人を中核に、組織だった活動が可能なよう登録制にするとか方法はあるはずです。
出来る事を片付け先に進むのはベストですが、今は出来る事すら考えず先に進み、甚大な被害想定だけが語られています。
これで本当にいいのか、私たちは被災地のためにも考えなければならないのではないでしょうか。
避難した園児の母親の告白をお伝えします。
気仙沼湾に流れ込んだ重油に火がつき、海面に漂う瓦礫に燃え移り一面火の海となったそうです。
「子どもを火で死なせるのはかわいそうで、いっそ自分の手で楽にしてあげようとまで考えた」
ある新聞で、被災地のアンテナショップの売り上げが震災前の低調なレベルになり、復興熱が冷めたのかとの記事がありました。
それはそれで、仕方が無いことだと私は思います。
しかし、あの悲劇から何も学ばず、被災しなかった地域は何もしないで済ませるのは、被災地に対する背信であり、同じ日本人として最も恥ずべき行為です。
教訓を活かすこと、それが被災しなかった地域に住む日本人に課せられた使命ではないでしょうか。
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