憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02061007 | [PR] |
11211446 | 復興予算の使われ方 |
復興予算流用問題がクローズアップされましたが、自衛隊にも調理場や浴場の建て替えに流用されていたとして、「日本維新の会」の議員が予算委員会で明らかにしました。
これに、財務相は「大震災で自衛隊は過酷な環境下で活動してきた。隊員の肉体的、精神的なケアを万全に行うためにはその回復基盤として生活関連施設の維持は不可欠だ」と理解を求めたそうです。
復興予算流用問題は看過できるものではありませんが、財務相といえども現実的な認識はないようです。
東日本大震災で活動した自衛隊ですが、給養面での問題点が多々あったことは伝えられていません。
陸自駐屯地業務隊の活動は、被災地で活動した隊員たち以上に過酷な状態に置かれました。
大震災直後、災害派遣の自衛隊最大の活動拠点となった仙台駐屯地の状況をお話します。
仙台駐屯地は、東北方面総監部をはじめとする方面直轄部隊・機関が駐屯しています。
発災後、仙台駐屯地には最大で4700人が寝起きし、仙台駐屯地業務隊は被災し破壊されたインフラを復旧させ、通常の5倍となる給食の準備などに忙殺されました。
地震後、仙台駐屯地は電気・水道・ボイラーが止まり、鉄筋3階建ての庁舎は、柱が50センチ押し潰されるなどの被害がありました。
業務隊は安否確認、救助要請の電話対応に追われる中、一方では被害状況の掌握、災害派遣用の携行食糧の準備、燃料の交付などを行いました。
インフラの復旧は、当日の18時までの6系統ある電路のうち2系統を自家発電で通電させ、発災から3日後には全系統、水道は5日目に全復旧させました。
他部隊からの応援も無く独力で復旧させたというのです。
外来宿泊に使えるベッドは100人分。当時の状況は、想像していただけると思います。
業務隊は定員の約半分という充足率で、震災後の業務をこなしたのですから、まさに驚異的な活躍でした。業務隊は平均年齢も高く、4月中旬まで交代要員が配置されるまで激務をこなしました。
災害であったため、部外委託の人員を出勤させるには問題も浮かび上がっています。
今回の震災で、陰の存在である業務隊の重要性が再認識されたはずですが、こうした問題点を解決しなければ、再び大きな災害もしくは有事の際には、部隊行動を阻害する要因になることでしょう。
震災後、ある隊員の言葉を知りました。
「辞めなくてよかった」
20代前半のこの隊員は、3週間の福島第一原発周辺の警戒区域なで活動したそうです。
震災前、自衛隊を除隊することを考えていたといいます。
3月末に南相馬市に入り、残っている住民の方に必要なものを聞いて回ったり、遺体捜索・瓦礫撤去にあたりました。
現地ではレトルト中心の食事、入浴は2週間に1回。それも車両で片道3時間の移動。
彼は被災者からの感謝に、逆に感謝しています。
中途退職者として、この若い隊員の気持ちはよく理解できます。
復興予算の流用は決して認められるものではありませんが、必要なものを必要な場所に提供しなければならないのは重要であり、献身的に活動する人々が次に備えるためにも是非とも予算は必要なものです。
これに、財務相は「大震災で自衛隊は過酷な環境下で活動してきた。隊員の肉体的、精神的なケアを万全に行うためにはその回復基盤として生活関連施設の維持は不可欠だ」と理解を求めたそうです。
復興予算流用問題は看過できるものではありませんが、財務相といえども現実的な認識はないようです。
東日本大震災で活動した自衛隊ですが、給養面での問題点が多々あったことは伝えられていません。
陸自駐屯地業務隊の活動は、被災地で活動した隊員たち以上に過酷な状態に置かれました。
大震災直後、災害派遣の自衛隊最大の活動拠点となった仙台駐屯地の状況をお話します。
仙台駐屯地は、東北方面総監部をはじめとする方面直轄部隊・機関が駐屯しています。
発災後、仙台駐屯地には最大で4700人が寝起きし、仙台駐屯地業務隊は被災し破壊されたインフラを復旧させ、通常の5倍となる給食の準備などに忙殺されました。
地震後、仙台駐屯地は電気・水道・ボイラーが止まり、鉄筋3階建ての庁舎は、柱が50センチ押し潰されるなどの被害がありました。
業務隊は安否確認、救助要請の電話対応に追われる中、一方では被害状況の掌握、災害派遣用の携行食糧の準備、燃料の交付などを行いました。
インフラの復旧は、当日の18時までの6系統ある電路のうち2系統を自家発電で通電させ、発災から3日後には全系統、水道は5日目に全復旧させました。
他部隊からの応援も無く独力で復旧させたというのです。
外来宿泊に使えるベッドは100人分。当時の状況は、想像していただけると思います。
業務隊は定員の約半分という充足率で、震災後の業務をこなしたのですから、まさに驚異的な活躍でした。業務隊は平均年齢も高く、4月中旬まで交代要員が配置されるまで激務をこなしました。
災害であったため、部外委託の人員を出勤させるには問題も浮かび上がっています。
今回の震災で、陰の存在である業務隊の重要性が再認識されたはずですが、こうした問題点を解決しなければ、再び大きな災害もしくは有事の際には、部隊行動を阻害する要因になることでしょう。
震災後、ある隊員の言葉を知りました。
「辞めなくてよかった」
20代前半のこの隊員は、3週間の福島第一原発周辺の警戒区域なで活動したそうです。
震災前、自衛隊を除隊することを考えていたといいます。
3月末に南相馬市に入り、残っている住民の方に必要なものを聞いて回ったり、遺体捜索・瓦礫撤去にあたりました。
現地ではレトルト中心の食事、入浴は2週間に1回。それも車両で片道3時間の移動。
彼は被災者からの感謝に、逆に感謝しています。
中途退職者として、この若い隊員の気持ちはよく理解できます。
復興予算の流用は決して認められるものではありませんが、必要なものを必要な場所に提供しなければならないのは重要であり、献身的に活動する人々が次に備えるためにも是非とも予算は必要なものです。
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