憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
|
02021300 | [PR] |
01310800 | 大東亜戦争か太平洋戦争か |
桶谷秀昭氏が「大東亜戦争か太平洋戦争か」という内容でNHKを批判しています。
太平洋戦争は、敗戦後GHQによって「軍国主義」と関連があるとされ「大東亜戦争」の使用が禁止され、代わりに「太平洋戦争」という呼称を用いられるよう規制されたのが発端となりました。
大東亜戦争を使いたがる人が少なからず存在していますが、大東亜戦争という呼称が使われるようになったのは昭和16年12月10日の開戦直後の閣議決定により決まり、この呼称は陸軍の案の一つでした。
大東亜戦争にこだわりを見せる人は、かつての戦争が欧米諸国の植民地支配からアジア各国を解放するという「大東亜共栄圏」に結び付けられるからです。
大東亜共栄圏とは大日本帝国・満州国・中華民国を一つの経済共同体とし、東南アジアの資源供給地域とし、南太平洋を国防圏とする考えで、「大東亜が日本の生存圏」とあるとされました。
しかし、日本が米英と開戦すると、アジアへの本格進出とともに日本は大東亜共栄圏の建設を対外的な目標とする「大東亜共栄圏」を宣伝するようになったのです。つまり、戦争を定義付するためのものであった面もあります。
実際に大東亜共栄圏を構成した国家は、日本政府や日本軍の軍政下に置かれた傀儡政権であり、従属した国家であり、支配が欧米から日本に代わっただけのものともいえます。
かつてフク団の一員として抗日武装闘争に参加したご老体とお話する機会がありましたが、「支配者がアメリカ人から日本人に代わっただけで、何も私たちの生活は変わらなかった」と抗日闘争に参加した理由を話していただきました。
このように、過誤があったこともあり得ますが、日本の進出した東南アジアの中には、〝支配者が代わっただけ〟と印象を受けた人も少なからずいたはずなのです。
それでは「太平洋戦争」という呼称は、GHQにより押し付けられて使われるようになったのかというと、開戦後に開かれた閣議で海軍案の一つとして「太平洋戦争」とものも存在したのです。
戦車と「特車」、歩兵を「普通科」、工兵を「施設科」などと言い換えて本質をぼかすかのような行為を日本人は好みますが、言葉を言い換えたところで本質は変わらないのです。
逆にそれをこだわるのは、愚かであり、それをわかってもらえない他国から見れば、いらぬ誤解の種になるのは言うまでもありません。
太平洋戦争は、敗戦後GHQによって「軍国主義」と関連があるとされ「大東亜戦争」の使用が禁止され、代わりに「太平洋戦争」という呼称を用いられるよう規制されたのが発端となりました。
大東亜戦争を使いたがる人が少なからず存在していますが、大東亜戦争という呼称が使われるようになったのは昭和16年12月10日の開戦直後の閣議決定により決まり、この呼称は陸軍の案の一つでした。
大東亜戦争にこだわりを見せる人は、かつての戦争が欧米諸国の植民地支配からアジア各国を解放するという「大東亜共栄圏」に結び付けられるからです。
大東亜共栄圏とは大日本帝国・満州国・中華民国を一つの経済共同体とし、東南アジアの資源供給地域とし、南太平洋を国防圏とする考えで、「大東亜が日本の生存圏」とあるとされました。
しかし、日本が米英と開戦すると、アジアへの本格進出とともに日本は大東亜共栄圏の建設を対外的な目標とする「大東亜共栄圏」を宣伝するようになったのです。つまり、戦争を定義付するためのものであった面もあります。
実際に大東亜共栄圏を構成した国家は、日本政府や日本軍の軍政下に置かれた傀儡政権であり、従属した国家であり、支配が欧米から日本に代わっただけのものともいえます。
かつてフク団の一員として抗日武装闘争に参加したご老体とお話する機会がありましたが、「支配者がアメリカ人から日本人に代わっただけで、何も私たちの生活は変わらなかった」と抗日闘争に参加した理由を話していただきました。
このように、過誤があったこともあり得ますが、日本の進出した東南アジアの中には、〝支配者が代わっただけ〟と印象を受けた人も少なからずいたはずなのです。
それでは「太平洋戦争」という呼称は、GHQにより押し付けられて使われるようになったのかというと、開戦後に開かれた閣議で海軍案の一つとして「太平洋戦争」とものも存在したのです。
戦車と「特車」、歩兵を「普通科」、工兵を「施設科」などと言い換えて本質をぼかすかのような行為を日本人は好みますが、言葉を言い換えたところで本質は変わらないのです。
逆にそれをこだわるのは、愚かであり、それをわかってもらえない他国から見れば、いらぬ誤解の種になるのは言うまでもありません。
PR
- +TRACKBACK URL+