憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02050708 | [PR] |
12090800 | 危機管理に人の苦楽は壁一重はあり得ない |
「人の苦楽は壁一重」といいます。
壁を隔てた隣家の様子がわからないのと同じように、他人の苦しみや楽しみは他人事でしかないということです。
東京電力が福島第一原発事故で、東電が追加公開した社内テレビ会議のビデオの、自衛隊などが行った放水作業を見守る福島第一原発所長の様子が収められていました。
当時の所長の発言だけを抜粋すると、「おーいった。よし。えい。おい、当たったな」陸自ヘリによる海水の空中投下を見ていた時の発言です。
空中投下される海水が霧状になると、「3号届いてねえや」「霧吹きやなあ」。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊が放水することになると、現場との連絡手段が確保できず「もう、どうにかしてよ!」と発言。
穿った見方かもしれませんが、私には切迫した状況というよりも、どこか他人事のような発言のように感じてしまいます。
3月12日福島第1原発1号機で15時36分水素爆発、続く
3月14日11時01分3号機で水素爆発が起こりました。
自衛官時代の後遺症なのか、はたま生来のスケベ根性からなのか、あれこれ疑問に思うことを調べずにはいられない性分のため、「ベント」が行われるとの発表から、私には原発周辺に放射性物質の拡散は予期できていました。
ベントがどういうことかを理解できていたためでしょう。
しかし、ベントが実行された報道がないまま(私が記憶していないだけかもしれませんが)、1号機の水素爆発が(私の)想像以上に早く起き、1号機が震災直後から危機的ダメージを受けていたことがわかりました。
水素爆発で事態は予断を許さない状況に陥ったことを理解しました。それは、放射性物質の拡散というよりは、放射背物質拡散によるデマにより、政府が正確な情報を発表しても、国民がそれをどこまで信じるのか、そしてパニックを起こさないか心配になったのです。
14日以降、親戚筋からは避難しなくてもいいのかと電話入ったりしましたが、私は政府とその要人たちの動きをマスコミから流される情報に集中し対応を模索していました。
余談ですが、そこで気がついたのは小沢一郎の名前が全く出てこないことでした。地元岩手県が甚大な被害を出しているのに、彼の名前は一向に出てきません。政界を引退したかのようにです。
後日、彼が姿を消した理由を知るのは、元奥さまの手紙が週刊誌で取り上げられてからです。
本題に戻ります。
我が家ではどうするか、確か上さんには「俺が判断するから、その時は避難するように」と言った記憶があります。
日本人をパニックに陥れなかったのは、天皇陛下のお言葉ではないかと私は考えています。
3月16日、陛下はお言葉をビデオメッセージで発出されました。被災された方へのお見舞いと激励、そして救援・救護活動に当たる諸団体への激励と感謝のお言葉でした。
止ん事無い方が東京に居るということは、私の被曝への判断材料には充分なものでした。
一方では、外国系企業などは避難命令を出し日本からの退去が広まり、日本のメディアでは「過剰反応」といった論調が目立ちました。
これについて、警察関係の危機管理の専門家は、避難させるべきではなかったのかと主張しています。「自助の発想が不足している」と日本人を批判までしています。
しかし、すべてが自助の発想が不足していかたから、パニックに陥らなかったのかと言えるかというと、そうではないと私は考えます。
私は被曝のリスク、20~30年後の発ガンの可能性、現在のガンの発症率、そういったものに自分の加えて考えたときに避難の必要性は無いと判断しました。
子供には、同じ流れで計算し、避難するかどうかは本人の判断に任せると言いました。
マスコミに踊らされ買い占めもしませんでしたし、乾電池や懐中電灯を買い漁ることもしませんでした。
なぜなら、すでに備えはしてあったからです。
冒頭でご紹介したように、原発所長の言葉はどこか他人事のように思えたのは、すでに事故は彼らの想定の枠を超えていたという「事実」があったからではないでしょうか。
原発は確かに危険を含んだものであることは、誰もが知る事実です。
だからと言って闇雲に停止させると訴えることを安易に容認することは危険なのではないでしょうか。
何故なら、原発で使用されなくなった燃料棒は冷却しなければならず、原発で使用されていない状態でもそれは続けなければならず、原発を停止させることイコール安全とは繋がりません。
刃物のように持つ人間により、それが芸術を生み出すか、人を傷つけるのかの違いがあるように、原発の危険性はそれを操る側の人間の能力に大きく影響されているということを原発事故は証明してくれたのではないでしょうか。
危機管理において、実は自助・共助・公助は二の次三の次の問題なのです。
危機管理では、まず病的な神経質になることです。
これは、危機管理の専門家では様々な表現を用いていますが、私は不安神経症を疑われてもおかしくない状態で何事にも対処することだと考えます。
その準備ができていれば、自助・共助・公助はスムーズに進むのです。原発事故のように「想定外」などと馬鹿げた釈明をしないで済むのです。
危機管理において、「人の苦楽は壁一重」であってはならないのです。
壁を隔てた隣家の様子がわからないのと同じように、他人の苦しみや楽しみは他人事でしかないということです。
東京電力が福島第一原発事故で、東電が追加公開した社内テレビ会議のビデオの、自衛隊などが行った放水作業を見守る福島第一原発所長の様子が収められていました。
当時の所長の発言だけを抜粋すると、「おーいった。よし。えい。おい、当たったな」陸自ヘリによる海水の空中投下を見ていた時の発言です。
空中投下される海水が霧状になると、「3号届いてねえや」「霧吹きやなあ」。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊が放水することになると、現場との連絡手段が確保できず「もう、どうにかしてよ!」と発言。
穿った見方かもしれませんが、私には切迫した状況というよりも、どこか他人事のような発言のように感じてしまいます。
3月12日福島第1原発1号機で15時36分水素爆発、続く
3月14日11時01分3号機で水素爆発が起こりました。
自衛官時代の後遺症なのか、はたま生来のスケベ根性からなのか、あれこれ疑問に思うことを調べずにはいられない性分のため、「ベント」が行われるとの発表から、私には原発周辺に放射性物質の拡散は予期できていました。
ベントがどういうことかを理解できていたためでしょう。
しかし、ベントが実行された報道がないまま(私が記憶していないだけかもしれませんが)、1号機の水素爆発が(私の)想像以上に早く起き、1号機が震災直後から危機的ダメージを受けていたことがわかりました。
水素爆発で事態は予断を許さない状況に陥ったことを理解しました。それは、放射性物質の拡散というよりは、放射背物質拡散によるデマにより、政府が正確な情報を発表しても、国民がそれをどこまで信じるのか、そしてパニックを起こさないか心配になったのです。
14日以降、親戚筋からは避難しなくてもいいのかと電話入ったりしましたが、私は政府とその要人たちの動きをマスコミから流される情報に集中し対応を模索していました。
余談ですが、そこで気がついたのは小沢一郎の名前が全く出てこないことでした。地元岩手県が甚大な被害を出しているのに、彼の名前は一向に出てきません。政界を引退したかのようにです。
後日、彼が姿を消した理由を知るのは、元奥さまの手紙が週刊誌で取り上げられてからです。
本題に戻ります。
我が家ではどうするか、確か上さんには「俺が判断するから、その時は避難するように」と言った記憶があります。
日本人をパニックに陥れなかったのは、天皇陛下のお言葉ではないかと私は考えています。
3月16日、陛下はお言葉をビデオメッセージで発出されました。被災された方へのお見舞いと激励、そして救援・救護活動に当たる諸団体への激励と感謝のお言葉でした。
止ん事無い方が東京に居るということは、私の被曝への判断材料には充分なものでした。
一方では、外国系企業などは避難命令を出し日本からの退去が広まり、日本のメディアでは「過剰反応」といった論調が目立ちました。
これについて、警察関係の危機管理の専門家は、避難させるべきではなかったのかと主張しています。「自助の発想が不足している」と日本人を批判までしています。
しかし、すべてが自助の発想が不足していかたから、パニックに陥らなかったのかと言えるかというと、そうではないと私は考えます。
私は被曝のリスク、20~30年後の発ガンの可能性、現在のガンの発症率、そういったものに自分の加えて考えたときに避難の必要性は無いと判断しました。
子供には、同じ流れで計算し、避難するかどうかは本人の判断に任せると言いました。
マスコミに踊らされ買い占めもしませんでしたし、乾電池や懐中電灯を買い漁ることもしませんでした。
なぜなら、すでに備えはしてあったからです。
冒頭でご紹介したように、原発所長の言葉はどこか他人事のように思えたのは、すでに事故は彼らの想定の枠を超えていたという「事実」があったからではないでしょうか。
原発は確かに危険を含んだものであることは、誰もが知る事実です。
だからと言って闇雲に停止させると訴えることを安易に容認することは危険なのではないでしょうか。
何故なら、原発で使用されなくなった燃料棒は冷却しなければならず、原発で使用されていない状態でもそれは続けなければならず、原発を停止させることイコール安全とは繋がりません。
刃物のように持つ人間により、それが芸術を生み出すか、人を傷つけるのかの違いがあるように、原発の危険性はそれを操る側の人間の能力に大きく影響されているということを原発事故は証明してくれたのではないでしょうか。
危機管理において、実は自助・共助・公助は二の次三の次の問題なのです。
危機管理では、まず病的な神経質になることです。
これは、危機管理の専門家では様々な表現を用いていますが、私は不安神経症を疑われてもおかしくない状態で何事にも対処することだと考えます。
その準備ができていれば、自助・共助・公助はスムーズに進むのです。原発事故のように「想定外」などと馬鹿げた釈明をしないで済むのです。
危機管理において、「人の苦楽は壁一重」であってはならないのです。
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