憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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02090626 | [PR] |
05151432 | 集団的自衛権 |
災害に被害を軽減するために、「自助」「共助」「公助」という考え方が東日本大震災以降広まっています。
自助:自らの家族(自分を含め)の命は自らが守ること。また、これに備えること。
共助:近隣(企業も含め)が互いに助け合って地域を守ること。また、これに備えること。
公助:市区町村、警察、消防、自衛隊による救援・救護活動、ライフライン保守会社による応急処置復旧作業
こうした考え方は、江戸時代に米沢藩第9代藩主であった上杉治憲(うえすぎはるのり、隠居後「鷹山」を名乗る)の「自助」「互助」「扶助」に共通するものがあります。
日本は諸外国の災害に際し、国際的支援を実施します。
①国際緊急援助隊の派遣、②緊急援助物資の供与、③緊急無償資金協力の3つです。
これらを単体もしくは複数の組合せで、被災国等からの要請に基づき、災害規模などから援助が行われます。
その対象となるのは、「自然災害(感染症等も含む)」、「人為的災害(火災、爆発等)」とされていますが、「〝紛争起因災害〟は対象としない」とされています。
自然災害、事件・事故とうはOKで、紛争が絡んだ災害はNGというのは道理に適っているのでしょうか?
例えば、原発事故が起き放射性物質の漏洩・拡散が懸念される場合、日本から援助はされますが、これがテロリストによる放射性物質の拡散となると、紛争となれば援助は行われないのです。不合理だと思いませんか?
日本人はいつから、こんなにも薄情になったのでしょうか。
集団的自衛権の議論が熱を帯びてきていますが、結局、自民党は公明党の顔色を窺いながら妥協点を模索するという、「誰のため」「何のため」の議論なのか全くわからなくなっています。
そもそも集団的自衛権という日本人が思考停止状態になる話題は、ジャパン・スタンダードだということをご存知でしょうか?
(正当行為)
第35条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
(正当防衛)
第36条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
(緊急避難)
第37条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。
これは、刑法の正当行為、正当防衛、緊急避難についての条文です。
「他人の権利を防衛するため」に急迫不正の侵害にとった行動は罰せられないとありますが、これは他人の権利を守るために取る行動は、人間として当然の行為であり自然に出てくる行為です。
それをしなければ、「非常識」「自己中心的」と非難されるのは誰もが当然の結果だと思うはずです。
しかし、日本は「他人」を「他国」に置き換えると豹変してしまいます。
「他国の権利を防衛するための権利はあるが、憲法上許されない」と言い訳し、見て見ぬふりをすると世界に公言しています。
「憲法」という伝家の宝刀のようですが、百歩譲って憲法解釈上の問題だとしても大問題が存在していることを誰も指摘していません。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
これは日本国憲法の前文です。
この前文から、集団的自衛権を否定する論から類推すると…
「国際社会において名誉ある地位を占めたい」国が、自分が困れば米国の手助けを受けて、米国を含む他国がどうなろうと知ったこっちゃない!
「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とくると、「マジ?」としかいえません。
憲法9条を守れとか、集団的自衛権を否定すのであれば、前文を改正する必要があるのではないでしょうか?
新たな前文で、日本は独善的であり自己中であると世界に宣すべきではないでしょうか・
「憲法第9条にノーベル平和賞を!」などと謳っている団体がありますが、その行為は否定はしませんが、どう贔屓目に見ても憲法を全く学んでおらず、自分の主張を正当化している国の恥です。
先日、動画サイトで中国の交通事故の動画を見ました。
車にはねられた人が目の前に横たわる人がいても、誰も傍に近寄らない光景には愕然とさせられました。
他人に無関心な中国人ならではですが、目の前の赤の他人は道の石ころのようなものとは言われてきましたが、そうした現実がこうした映像となっているのでしょう。
日本人も中国人化しているとは考えたくもありませんが、全く遠い存在ではなくなっているようです。
集団的自衛権は日本一国の問題ではありません。それを理解し、多くの時間を費やし、結論を導き出すことを政治家だけでなく日本人全体に期待します。
上杉鷹山の言葉です。
「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も」そして、「成らぬは人の なさぬなりけり」と結ばれています。
自助:自らの家族(自分を含め)の命は自らが守ること。また、これに備えること。
共助:近隣(企業も含め)が互いに助け合って地域を守ること。また、これに備えること。
公助:市区町村、警察、消防、自衛隊による救援・救護活動、ライフライン保守会社による応急処置復旧作業
こうした考え方は、江戸時代に米沢藩第9代藩主であった上杉治憲(うえすぎはるのり、隠居後「鷹山」を名乗る)の「自助」「互助」「扶助」に共通するものがあります。
日本は諸外国の災害に際し、国際的支援を実施します。
①国際緊急援助隊の派遣、②緊急援助物資の供与、③緊急無償資金協力の3つです。
これらを単体もしくは複数の組合せで、被災国等からの要請に基づき、災害規模などから援助が行われます。
その対象となるのは、「自然災害(感染症等も含む)」、「人為的災害(火災、爆発等)」とされていますが、「〝紛争起因災害〟は対象としない」とされています。
自然災害、事件・事故とうはOKで、紛争が絡んだ災害はNGというのは道理に適っているのでしょうか?
例えば、原発事故が起き放射性物質の漏洩・拡散が懸念される場合、日本から援助はされますが、これがテロリストによる放射性物質の拡散となると、紛争となれば援助は行われないのです。不合理だと思いませんか?
日本人はいつから、こんなにも薄情になったのでしょうか。
集団的自衛権の議論が熱を帯びてきていますが、結局、自民党は公明党の顔色を窺いながら妥協点を模索するという、「誰のため」「何のため」の議論なのか全くわからなくなっています。
そもそも集団的自衛権という日本人が思考停止状態になる話題は、ジャパン・スタンダードだということをご存知でしょうか?
(正当行為)
第35条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
(正当防衛)
第36条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
(緊急避難)
第37条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。
これは、刑法の正当行為、正当防衛、緊急避難についての条文です。
「他人の権利を防衛するため」に急迫不正の侵害にとった行動は罰せられないとありますが、これは他人の権利を守るために取る行動は、人間として当然の行為であり自然に出てくる行為です。
それをしなければ、「非常識」「自己中心的」と非難されるのは誰もが当然の結果だと思うはずです。
しかし、日本は「他人」を「他国」に置き換えると豹変してしまいます。
「他国の権利を防衛するための権利はあるが、憲法上許されない」と言い訳し、見て見ぬふりをすると世界に公言しています。
「憲法」という伝家の宝刀のようですが、百歩譲って憲法解釈上の問題だとしても大問題が存在していることを誰も指摘していません。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
これは日本国憲法の前文です。
この前文から、集団的自衛権を否定する論から類推すると…
「国際社会において名誉ある地位を占めたい」国が、自分が困れば米国の手助けを受けて、米国を含む他国がどうなろうと知ったこっちゃない!
「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とくると、「マジ?」としかいえません。
憲法9条を守れとか、集団的自衛権を否定すのであれば、前文を改正する必要があるのではないでしょうか?
新たな前文で、日本は独善的であり自己中であると世界に宣すべきではないでしょうか・
「憲法第9条にノーベル平和賞を!」などと謳っている団体がありますが、その行為は否定はしませんが、どう贔屓目に見ても憲法を全く学んでおらず、自分の主張を正当化している国の恥です。
先日、動画サイトで中国の交通事故の動画を見ました。
車にはねられた人が目の前に横たわる人がいても、誰も傍に近寄らない光景には愕然とさせられました。
他人に無関心な中国人ならではですが、目の前の赤の他人は道の石ころのようなものとは言われてきましたが、そうした現実がこうした映像となっているのでしょう。
日本人も中国人化しているとは考えたくもありませんが、全く遠い存在ではなくなっているようです。
集団的自衛権は日本一国の問題ではありません。それを理解し、多くの時間を費やし、結論を導き出すことを政治家だけでなく日本人全体に期待します。
上杉鷹山の言葉です。
「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も」そして、「成らぬは人の なさぬなりけり」と結ばれています。
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