憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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02070245 | [PR] |
11090800 | 現実から目をそらすな! |
「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった」
これは、昭和45(1970)年11月25日陸上自衛隊東部方面総監部において自決した三島由紀夫の遺した檄文です。檄とは自分の考えや主張により大衆に行動を求める文書です。
私は三島由紀夫を評価していませんし、彼の行動を是認してはいませんが、三島由紀夫は40年以上前に日本の未来を見ていたような気がします。
中国よる尖閣諸島での外交を無視した力による専横ぶりが目立ちますが、これは今は「中国」になっただけのことで、少し前はその相手が「韓国」でしたし、その前は「北朝鮮」、その前は「(旧)ソ連」だっただけです。
相手が変わっただけで、これまで日本は周辺国から恫喝を繰り返されてきたにもかかわらず、三島の檄文の通り「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ」てきたために、同じ事が繰り返されているだけなのです。
こうした政治を認めるようになったのは、左翼作家の存在も忘れてはならなりません。
「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の言葉ですが、彼は中国の核実験成功に賞賛し、キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を「いかにも美しく感動的であった」と評しているのです。
これでは、大江がどこの国の人間なのか、ネトウヨでなくとも疑問が浮かんできます。
三島のように未来に目を向けていた人間はまだいます。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。
一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。 自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ」
昭和32(1957)年3月26日防衛大学校の卒業式で、吉田茂元内閣総理大臣の訓示です。
吉田には、東日本大震災が見えていたのかも知れません。
私は自衛隊を礼賛して欲しいとか、無条件に認めて欲しいとは思っていません。
ただ私は、一人の日本人として未来を子供達に遺せるよう、不断の努力を望む一日本人です。
三島由紀夫、大江健三郎、吉田茂らを肯定も否定もしませんが、思想・信条で国の行く末を導いていいのか。
これら知識人や政治家の言葉を鵜呑みにしていいのか。
その問いかけを日本に対し中国はしているのではないでしょうか。
これは、昭和45(1970)年11月25日陸上自衛隊東部方面総監部において自決した三島由紀夫の遺した檄文です。檄とは自分の考えや主張により大衆に行動を求める文書です。
私は三島由紀夫を評価していませんし、彼の行動を是認してはいませんが、三島由紀夫は40年以上前に日本の未来を見ていたような気がします。
中国よる尖閣諸島での外交を無視した力による専横ぶりが目立ちますが、これは今は「中国」になっただけのことで、少し前はその相手が「韓国」でしたし、その前は「北朝鮮」、その前は「(旧)ソ連」だっただけです。
相手が変わっただけで、これまで日本は周辺国から恫喝を繰り返されてきたにもかかわらず、三島の檄文の通り「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ」てきたために、同じ事が繰り返されているだけなのです。
こうした政治を認めるようになったのは、左翼作家の存在も忘れてはならなりません。
「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の言葉ですが、彼は中国の核実験成功に賞賛し、キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を「いかにも美しく感動的であった」と評しているのです。
これでは、大江がどこの国の人間なのか、ネトウヨでなくとも疑問が浮かんできます。
三島のように未来に目を向けていた人間はまだいます。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。
一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。 自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ」
昭和32(1957)年3月26日防衛大学校の卒業式で、吉田茂元内閣総理大臣の訓示です。
吉田には、東日本大震災が見えていたのかも知れません。
私は自衛隊を礼賛して欲しいとか、無条件に認めて欲しいとは思っていません。
ただ私は、一人の日本人として未来を子供達に遺せるよう、不断の努力を望む一日本人です。
三島由紀夫、大江健三郎、吉田茂らを肯定も否定もしませんが、思想・信条で国の行く末を導いていいのか。
これら知識人や政治家の言葉を鵜呑みにしていいのか。
その問いかけを日本に対し中国はしているのではないでしょうか。
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