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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :02/03/07:11

05070800 朝三暮四

目先の違いにとらわれ、結果が同じになることに気付かないこと、人を巧みに騙すことを朝三暮四といいます。

中国の春秋時代、宋に狙公という猿好きの老人がいたそうです。猿が増え家計に影響が出て、飼っている猿に与えるエサを減らすことを考えました。

狙公は猿に「これからはドングリを朝に3つ、暮れに4つやる」と言うと、猿は少ないと怒り、「朝に4つ、暮れに3つやる」と言い直したところ猿は喜んで承知したということからこの故事が生まれました。

結果は同じなのに表面的な利害にとらわれることや、騙すことを朝三暮四というようになったそうです。




4月28日、政府主催の「主権回復の日」として式典を行いました。

私は違和感を禁じえません。

日米安保条約により駐留する米軍の存在は理解してはいますが、片務的条約であり、米軍の特権が容認され対等な条約とはいえません。

そんな国が「主権」を論じるのは臍でお茶を沸かすようなものです。

1997年に「主権回復の日」の政府式典開催を求める学者らが集会を開きました。そのメンバーはかつての戦争を「聖戦」として東京裁判は不当だと考える人たちが多く存在しています。

「聖戦」とは、宗教的に神聖とみなされる正義のための戦争を意味する言葉です。

戦争を宗教的な位置づけから「正義」の戦いと意味づけする行為は、人類の歴史創生から見られるものです。米国の「対テロ戦争」では「正義の戦い」として位置づけられたことも、こうした聖戦の発想に繋がるものだと思われます。

先の戦争の定義づけを怠り、戦争を「聖戦」とする人たちが「主権回復の日」を祝うことは果たして正しいことなのでしょうか。

日本がなぜ主権を失ったのか。「聖戦」とされる日本に正義はほんとうにあったのか。

勝利の可能性が見い出せない日米戦を精神力で補おうとして戦いを選択した人たちは、本当に許されることなのか等議論されなければならないことは多くあるはずです。

そして、地政学上米軍の駐留は必要であっても、その関係は片務的で従属的な条約があってもなお「主権」が回復したといえるのでしょうか。

それらのことを飛び越して、「主権回復の日」を祝うことはカップ麺とラーメンを同じ土俵に上げるようなものです。

今回の式典は、安倍首相・自民党の朝三暮四ではないでしょうか。

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