憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
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02030102 | [PR] |
08250800 | 憲法を考える |
憲法第9条を世界遺産にと訴える芸人がいるそうです。
世界遺産?
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス」(現代訳:締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する)
日本憲法第9条第1項に酷似しています。
これは、パリ不戦条約ですがあまりに似ているのでパクリさえ疑われます。
コピー商品で世界遺産ですか?
あり得ないです! 知らないからこうした推奨ができるのでしょう。
憲法改正をしないまま自衛隊を創設し、無理な解釈を繰り返した我が国です。
共産勢力の拡大に対応は急いだのはわかりますが、この急ぎが現在の歪んだ日本の防衛政策となってしまったのです。
どれほど歪んでいるかをお話するのは簡単です。主権国家の象徴である「軍隊」を保持しないという一点だけでも充分です。戦時国際法においても保障され、作戦行動では敵を直接的に加害することを認められています。その存在を認めないのは、主権国家ではないと解釈されても何等不思議はありません。
そうした歪んだ環境下、日本は「専守防衛」「非核三原則」「武器輸出三原則」と考え出しました。
しかし、これらの概念は一貫したものではありません。
防衛環境の変化により、そのあり方が問われています。
それは、必要なものなのですが、これまでこうした議論をしないまま解釈を変え対応してきた政府により、国民の間に様々な意見が飛び交っています。
専守防衛という〝用語〟が用いられるようになった最初は、昭和30年7月の当時の防衛長官によるものでした。
それは、保安隊から陸自、海上警備隊から海自という前身を持たない空自が創設され、空自に多くの戦闘機が供与され、この戦闘機の供与に対し周辺地域に対し脅威とならないのかという質問に対する答弁からでした。
「厳格な意味で自衛の最小限の防衛力を持ちたい。[中略] 決して外国に対し攻撃的・侵略的空軍を持つわけではない。もっぱら日本の国を守る。もっぱらの専守防衛という考え方でいくわけです」
専守防衛という言葉は、しばらく姿を見せなくなります。政府が再び使用したのは、昭和45年1月に防衛庁長官となった中曽根康弘によってでした。
中曽根は国会答弁で「専守防衛」を持ち出し、そして初めて出された『防衛白書』に「我が国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と説明されました。
中曽根は東京帝京大学法学部政治学科卒、内務省入省後、海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官。終戦時は主計少佐でした。
主計科は庶務・会計・被服・糧食を担当するもので先述については全く教育を受けていません。そんな中曽根が「専守防衛」を持ち出したわけです。
さらに「専守防衛」を定着させたのは、田中角栄によってでした。
国会答弁で、「専守防衛は、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行なうことであって、わが国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くない。なお、戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものである」と答えました。
素人の防衛官僚の入れ知恵なのですが、軍事的にはあり得ない説明です。
田中は「戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のもの」と説明していますが、「戦略守勢」とは、敵の攻撃に反撃する目的で意図的もしくは必然的に計画されたもので、専守防衛と同義ではありません。
しかし、専守防衛が定義付されていたかというと、定義付されたのは昭和56年のことでした。
① 防衛力が行使できるのは相手から武力攻撃を受けたとき
② 行使の態様は自衛のための必要最小限にとどめる
③ 保持する防衛力も必要最小限に限られる
これが日本の防衛の基本となります。
自衛権の発動について、当時の内閣法制局長官の説明です。「他に方法がなく、そして急迫不正の侵害があり、それを排除するための必要欠くべからざる最小限の措置という制約がかぶさっているため、その方向で自衛隊は動くとご了解願えればよい」
これと同じ文言が刑法に見られます。
「自分の生命や身体、財産を守るための行為が違法であっても正当であれば罪を問わない」
正当防衛です。
国家の防衛を正当防衛レベルで行おうというのです。
この論法によれば、例えば懸念される北朝鮮の工作員が日本に侵入したとします。
編成は1個分隊程度。8~10名程度。武装は軽火器とロケット砲、爆薬など。工作員たちは原発に侵入しようとしますが、警備していた武装機動隊員により撃退されます。
工作員たちは日本から脱出しようと日本海側に向かいます。山岳地帯に入り込み、自衛隊と警察合同の捜索が始まります。
工作員を発見した段階で問題が起きます。
工作員は絶対に降伏することはありません。自害するか日本に少しでも犠牲を出そうと攻撃してくるでしょう。
そこで問題になるのは、武力行使が「自衛のための必要最小限にとどめる」という前提が引っ掛かります。
工作員の武装に見合った武器で攻撃しなければならないのです。
迫撃砲などの重火器による攻撃はできません。
重火器により攻撃した場合、日本の国内法で過剰防衛で裁かれる可能性があるのです。
これが、この国の本当の姿なのです。
戦後の平和を日本が享受できたのは、憲法によってもたらされたものではありません。
核兵器・日米安保条約など様々な要因が日本に平和をもたらしたのです。
それを理解しなければ、日本はかつてない経験をすることになるでしょう。
世界遺産?
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス」(現代訳:締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する)
日本憲法第9条第1項に酷似しています。
これは、パリ不戦条約ですがあまりに似ているのでパクリさえ疑われます。
コピー商品で世界遺産ですか?
あり得ないです! 知らないからこうした推奨ができるのでしょう。
憲法改正をしないまま自衛隊を創設し、無理な解釈を繰り返した我が国です。
共産勢力の拡大に対応は急いだのはわかりますが、この急ぎが現在の歪んだ日本の防衛政策となってしまったのです。
どれほど歪んでいるかをお話するのは簡単です。主権国家の象徴である「軍隊」を保持しないという一点だけでも充分です。戦時国際法においても保障され、作戦行動では敵を直接的に加害することを認められています。その存在を認めないのは、主権国家ではないと解釈されても何等不思議はありません。
そうした歪んだ環境下、日本は「専守防衛」「非核三原則」「武器輸出三原則」と考え出しました。
しかし、これらの概念は一貫したものではありません。
防衛環境の変化により、そのあり方が問われています。
それは、必要なものなのですが、これまでこうした議論をしないまま解釈を変え対応してきた政府により、国民の間に様々な意見が飛び交っています。
専守防衛という〝用語〟が用いられるようになった最初は、昭和30年7月の当時の防衛長官によるものでした。
それは、保安隊から陸自、海上警備隊から海自という前身を持たない空自が創設され、空自に多くの戦闘機が供与され、この戦闘機の供与に対し周辺地域に対し脅威とならないのかという質問に対する答弁からでした。
「厳格な意味で自衛の最小限の防衛力を持ちたい。[中略] 決して外国に対し攻撃的・侵略的空軍を持つわけではない。もっぱら日本の国を守る。もっぱらの専守防衛という考え方でいくわけです」
専守防衛という言葉は、しばらく姿を見せなくなります。政府が再び使用したのは、昭和45年1月に防衛庁長官となった中曽根康弘によってでした。
中曽根は国会答弁で「専守防衛」を持ち出し、そして初めて出された『防衛白書』に「我が国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と説明されました。
中曽根は東京帝京大学法学部政治学科卒、内務省入省後、海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官。終戦時は主計少佐でした。
主計科は庶務・会計・被服・糧食を担当するもので先述については全く教育を受けていません。そんな中曽根が「専守防衛」を持ち出したわけです。
さらに「専守防衛」を定着させたのは、田中角栄によってでした。
国会答弁で、「専守防衛は、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行なうことであって、わが国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くない。なお、戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものである」と答えました。
素人の防衛官僚の入れ知恵なのですが、軍事的にはあり得ない説明です。
田中は「戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のもの」と説明していますが、「戦略守勢」とは、敵の攻撃に反撃する目的で意図的もしくは必然的に計画されたもので、専守防衛と同義ではありません。
しかし、専守防衛が定義付されていたかというと、定義付されたのは昭和56年のことでした。
① 防衛力が行使できるのは相手から武力攻撃を受けたとき
② 行使の態様は自衛のための必要最小限にとどめる
③ 保持する防衛力も必要最小限に限られる
これが日本の防衛の基本となります。
自衛権の発動について、当時の内閣法制局長官の説明です。「他に方法がなく、そして急迫不正の侵害があり、それを排除するための必要欠くべからざる最小限の措置という制約がかぶさっているため、その方向で自衛隊は動くとご了解願えればよい」
これと同じ文言が刑法に見られます。
「自分の生命や身体、財産を守るための行為が違法であっても正当であれば罪を問わない」
正当防衛です。
国家の防衛を正当防衛レベルで行おうというのです。
この論法によれば、例えば懸念される北朝鮮の工作員が日本に侵入したとします。
編成は1個分隊程度。8~10名程度。武装は軽火器とロケット砲、爆薬など。工作員たちは原発に侵入しようとしますが、警備していた武装機動隊員により撃退されます。
工作員たちは日本から脱出しようと日本海側に向かいます。山岳地帯に入り込み、自衛隊と警察合同の捜索が始まります。
工作員を発見した段階で問題が起きます。
工作員は絶対に降伏することはありません。自害するか日本に少しでも犠牲を出そうと攻撃してくるでしょう。
そこで問題になるのは、武力行使が「自衛のための必要最小限にとどめる」という前提が引っ掛かります。
工作員の武装に見合った武器で攻撃しなければならないのです。
迫撃砲などの重火器による攻撃はできません。
重火器により攻撃した場合、日本の国内法で過剰防衛で裁かれる可能性があるのです。
これが、この国の本当の姿なのです。
戦後の平和を日本が享受できたのは、憲法によってもたらされたものではありません。
核兵器・日米安保条約など様々な要因が日本に平和をもたらしたのです。
それを理解しなければ、日本はかつてない経験をすることになるでしょう。
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