憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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03040158 | [PR] |
06300700 | あの時 |
発災から時間の経過とともに、新聞・テレビなどで被災地の実情が取り上げられる回数が極端に減りつつあります。
今は、福島第1原発事故の情報が多く、それに伴う放射線量の不安が広がり、皆さんの中でもそうした不安を持っていらしゃる方も少なくないと思います。
しかし、被災地は未だに復旧すらままならない状態であり、原発事故の福島は「復旧」どころか、原発周辺地域は無人地帯が広がるという、想像を絶する状態にあります。復興などと政府やメディアが音頭を取っても現実は厳しいものがあるのです。
それを忘れないで欲しいと願うのは、被災地出身の一人として声を大にして申し上げておきたいことです。
宮城県石巻工業港から北に1キロほどにある、大街道小学校の3月11日以後の状況が伝えられています。
津波で1階が水没、学校周辺の住宅も水没し、学校の2、3階に避難した住民・教職員・児童ら約600人が孤立しました。
11日夜は停電し真っ暗闇の中を、ヘリコプターの爆音が轟き、ただならぬ状況であることを告げました。
夜明けを迎えヘリの数が増し、屋上から手を振ったり、B4のコピー用紙を使って「SOS」の文字を作りました。
しかし、無情にもヘリは全てが飛び去り、物資すら投下されませんでした。
学校には当然、備蓄食糧は無く、600人のうち400人の子供達を飢えを襲いました。
放課後児童クラブの菓子を子供達に配るだけで、大人はスティック砂糖を舐めて飢えをしのいだそうです。
水が引き始めた12日になると、取り残された周辺住民も学校に集まり、避難者は1300人にまで膨れ上がりました。
近所の中華料理店が残った野菜でスープを作り、紙コップ半分ほどのスープを皆ですすったそうです。しかし、ガソリンやガスの臭いが立ち込め、炊き出しは中止せざるを得ない状態に追い込まれました。
12日には、被災者が低体温症で倒れ、偶然、居合わせた看護士が心臓マッサージなどを施しますが、布団も毛布も無く、カーテンを体に巻きつけるのが精一杯だったそうで、低体温症で倒れた被災された方は亡くなられたそうです。
充分な医療設備は無く、看護士は日赤の医療チームが来る1週間後まで応急処置を続けました。
自衛隊員がおにぎりとお湯を運んできたのは19日。学校では拍手が沸きあがったそうです。おにぎりは、ゴツゴツしていて、いかにも男性が握ったものだとわかったそうです。
こうした状況を知ることは、被災しなかった私達に貴重な教訓を与えてくれます。
津波の被害を受けない地域にお住まいの方でも、大規模な災害に遭った場合、これまでは3日の備蓄食糧を蓄えるよういわれてきましたが、最低でも1週間は自活できる食糧の必要性がわかります。
そして、ヘリが無情にも飛び去ったと被災された人々の目に映ったのでしょうが、このヘリ全てが警察・消防・自衛隊・海保などの救援ヘリではなく、マスコミのヘリもあったはずです。
こうした大規模災害が起きた場合、こうしたマスコミ・ヘリの協力が取り付けられるよう検討されるべきです。
報道は何かと優先されますが、人命と報道でどちらが大切であるか、私が説明するまでもありません。
夏に向け電力需要が逼迫し節電が訴えられ、計画停電も予定されています。
そうした〝事実〟があっても、マスコミであるテレビは27時間テレビ・24時間テレビを放送するという厚顔無恥ぶりを発揮しています。
頼りにならないマスコミを頼るのではなく、私達国民一人一人が情報を精査し、その情報を利用しないと、この国は再び歴史的な惨劇に見舞われる可能性があります。
それを繰り返さないためにも、正しい知識と冷静な判断力を培うことを怠ってはならないのです。
今は、福島第1原発事故の情報が多く、それに伴う放射線量の不安が広がり、皆さんの中でもそうした不安を持っていらしゃる方も少なくないと思います。
しかし、被災地は未だに復旧すらままならない状態であり、原発事故の福島は「復旧」どころか、原発周辺地域は無人地帯が広がるという、想像を絶する状態にあります。復興などと政府やメディアが音頭を取っても現実は厳しいものがあるのです。
それを忘れないで欲しいと願うのは、被災地出身の一人として声を大にして申し上げておきたいことです。
宮城県石巻工業港から北に1キロほどにある、大街道小学校の3月11日以後の状況が伝えられています。
津波で1階が水没、学校周辺の住宅も水没し、学校の2、3階に避難した住民・教職員・児童ら約600人が孤立しました。
11日夜は停電し真っ暗闇の中を、ヘリコプターの爆音が轟き、ただならぬ状況であることを告げました。
夜明けを迎えヘリの数が増し、屋上から手を振ったり、B4のコピー用紙を使って「SOS」の文字を作りました。
しかし、無情にもヘリは全てが飛び去り、物資すら投下されませんでした。
学校には当然、備蓄食糧は無く、600人のうち400人の子供達を飢えを襲いました。
放課後児童クラブの菓子を子供達に配るだけで、大人はスティック砂糖を舐めて飢えをしのいだそうです。
水が引き始めた12日になると、取り残された周辺住民も学校に集まり、避難者は1300人にまで膨れ上がりました。
近所の中華料理店が残った野菜でスープを作り、紙コップ半分ほどのスープを皆ですすったそうです。しかし、ガソリンやガスの臭いが立ち込め、炊き出しは中止せざるを得ない状態に追い込まれました。
12日には、被災者が低体温症で倒れ、偶然、居合わせた看護士が心臓マッサージなどを施しますが、布団も毛布も無く、カーテンを体に巻きつけるのが精一杯だったそうで、低体温症で倒れた被災された方は亡くなられたそうです。
充分な医療設備は無く、看護士は日赤の医療チームが来る1週間後まで応急処置を続けました。
自衛隊員がおにぎりとお湯を運んできたのは19日。学校では拍手が沸きあがったそうです。おにぎりは、ゴツゴツしていて、いかにも男性が握ったものだとわかったそうです。
こうした状況を知ることは、被災しなかった私達に貴重な教訓を与えてくれます。
津波の被害を受けない地域にお住まいの方でも、大規模な災害に遭った場合、これまでは3日の備蓄食糧を蓄えるよういわれてきましたが、最低でも1週間は自活できる食糧の必要性がわかります。
そして、ヘリが無情にも飛び去ったと被災された人々の目に映ったのでしょうが、このヘリ全てが警察・消防・自衛隊・海保などの救援ヘリではなく、マスコミのヘリもあったはずです。
こうした大規模災害が起きた場合、こうしたマスコミ・ヘリの協力が取り付けられるよう検討されるべきです。
報道は何かと優先されますが、人命と報道でどちらが大切であるか、私が説明するまでもありません。
夏に向け電力需要が逼迫し節電が訴えられ、計画停電も予定されています。
そうした〝事実〟があっても、マスコミであるテレビは27時間テレビ・24時間テレビを放送するという厚顔無恥ぶりを発揮しています。
頼りにならないマスコミを頼るのではなく、私達国民一人一人が情報を精査し、その情報を利用しないと、この国は再び歴史的な惨劇に見舞われる可能性があります。
それを繰り返さないためにも、正しい知識と冷静な判断力を培うことを怠ってはならないのです。
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