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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :04/25/18:29

08130800 責任は海軍にあり

関東軍関係:板垣征四郎(死刑)・南次郎(終身禁固)・梅津美治郎(終身刑・獄中死)
特務機関:土肥原賢二(死刑)
陸軍中央:荒木貞夫(終身刑)・松井石根(死刑)・畑俊六(終身禁固)・木村兵太郎(死刑)・武藤章(死刑)・佐藤賢了(終身刑)・橋本欣五郎(終身刑)
海軍中央:永野修身(獄中死)・嶋田繁太郎(終身禁固)・岡敬純(終身禁固)

東條英機(死刑)
小磯國昭(終身禁固・獄中死)

非常に興味深いものがあります。

陸軍関係者が多く、極刑に処せられていることです。






私は極東裁判について個人的な見解をもっていますが、裁判についてではなく、日本が敗戦となった責任は誰かが負わなければならないと考えます。

しかし、この陸軍と海軍の差は何を意味するのでしょうか。

A級戦犯は、「戦争の計画、準備、開始及び遂行」の責任を問うもので、昭和天皇に戦争責任が及ぶことが明らかとなり、海軍の高級士官が工作に乗り出しました。

陸軍:悪玉、海軍:善玉の図式がここで作り上げられたのです。

私は靖国神社について批判的ですが、こうした靖国批判に耳を傾けられることはありません。

私が靖国批判をするのは、玉石混交であることです。

しかし、靖国神社崇拝者は「国を愛することが悪いのか」と一言で片付けます。

太平洋戦争開戦に向け動き出したのは、帝国海軍によるものであったことは歴史の真実です。

及川古志郎海軍大将
1940(昭和15)年9月5日、第2次近衛内閣で海軍大臣に就任。

及川の在任中、三国同盟、仏印進駐、日ソ中立条約、帝国国策遂行要領など日本の進路を決める重要な国策が多く決められました。

にもかかわらず戦犯として訴追されていません。

戦争に向けて直進する日本、海軍がいかに能力的問題があったかを証明するものがあります。

永野修身元帥海軍大将は、東京裁判での尋問で潜水艦について聞かれると「潜水艦のことはよく知らない」と答えています。

この発言の何が問題かというと、南方資源を確保する動きに出た日本は、目論見どおり南方資源地帯を確保したものの、確保した資源を輸送する手段を真剣に考えていたとはいえないものでした。

永野は開戦直前の御前会議で、「海上輸送は日本の生命線でありますので、その保護には力を尽くすが損害もある程度あるでしょう」と帝国海軍の船団護衛能力(シーレーン防衛能力)が無いことには言及していません。

日米戦が長期持久戦になっても、「海上交通線の保護は可能」、「敵が潜水艦多数を建造しても潜水艦多数を建造しても潜水艦根拠地が著しく遠距離となる関係で建造潜水艦の4分の1程度も作戦海域に派遣できないと思いますから交通線の保護は可能」と上奏し、さらに「ドイツと緊密に連携し有効な通商破壊戦を実施します」と、よく知らない潜水艦について饒舌になっています。

我が帝国海軍は、シーレーン防衛どころか対潜水艦作戦についても一顧だにされませんでした。

海外からの輸入に頼る国が、軍需物資だけでなく民需品等の輸送する海上交通線の安全を考えなかったのは歴史的に見ても前例は無いでしょう。

戦争が始まると、中心的になったのは予科練等の出身者の下士官、シーレーン防衛について考えてもいなかった帝国海軍で輸送の安全確保にあたったのは予備士官たちでした。

このように歴史は簡単に捏造できるものであり、学ぶべきものを学ばなければ我々は未来を誤ることになるでしょう。

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