憂い next ver.
新・元自衛官の憂い
ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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04180636 | [PR] |
09010700 | 誇るべきもの |
中央即応集団隷下中央特殊武器防護隊(大宮駐屯地)は東日本大震災による福島第一原発事故対応のため、初の原子力災害派遣命令が出されました。
派遣前、震災直後のこと、中央特殊武器防護隊(中特防)は隊員の家々を二名の隊員が回り、「災害派遣命令が出されたこと」「長期間になること」、そして最後に「任務は原発関連になると思われますが、常日頃の訓練で備えは万全ですのでご安心ください」と伝えたそうです。
驚きました!
災害派遣命令は、台風・豪雨などへの派遣は事前にある程度予見できますが、常日頃から〝いざ〟という時に備えはあっても、地震の派遣となると何の予見もできず、降って湧いたような出動命令に部隊は猫の手も借りたいような状況となります。
指揮所が立ち上げられ、全ての把握が急ぎ行われます。人員、装備、糧食、車両、燃料、現場までのルート、派遣先の状況など山のようにある確認作業を一刻も早くこなし、部隊を被災地に差し向けることに全力が注がれます。被災地に近い部隊であれば、現地偵察も必要となり、蜂の巣を突いた有様となります。指揮所は殺気立ち、罵声や怒号も飛ぶことさえあります。
こうした状況で、中特防は隊員の家を回らせる余裕があったとは信じ難いことです。
そして、「備えは万全ですのでご安心ください」と言い切れる自信は、どこから来ているのか大変興味深いことです。
私の経験では、父が地震で災害派遣が命じられ帰宅しなかったことがありますが、当日の夜遅くだったか、翌日だったか忘れましたが、かなり時間が経ってから部隊から電話連絡があったのを覚えています。「お父さんは、災害派遣でしばらく帰れません」という簡単なものでした。
中特防の家族への説明は、ほんとうに賞賛すべきものです。
大きな余震も続き、家族はさぞ不安だったことでしょう。しかし、部隊から人員が差し向けられ説明があれば、少しは安心できたことでしょう。
自衛隊に寄せられた手紙の中で、印象に残っているものがあります。
女性からのもので、自衛官を夫に持つ知人女性に震災直後、「震災で旦那さんはどうしているの」と尋ねたそうです。1歳の子供を抱きかかえた女性は「遺体の捜索をしている。(夫は)頑張っています。頑張っているんです…」と涙ぐんでいたそうです。女性は「自衛隊は日本の誇り。いつも守ってくれてありがとう」と結ばれていたそうです。
今回の震災で、家族が津波で行方不明のまま、被災地の救援に向かった隊員が少なからずいたことも記憶にとどめておかなければなりません。過労で倒れた隊員がいたこともです。
そして、何よりも震災・原発事故対応に当たった自衛隊員の家族こそ、私は日本の誇りだと思います。最も重要な後方支援である家族が耐え忍んでくれたことを、私は皆さんの記憶の中に留めておいて欲しいと望みます。
派遣前、震災直後のこと、中央特殊武器防護隊(中特防)は隊員の家々を二名の隊員が回り、「災害派遣命令が出されたこと」「長期間になること」、そして最後に「任務は原発関連になると思われますが、常日頃の訓練で備えは万全ですのでご安心ください」と伝えたそうです。
驚きました!
災害派遣命令は、台風・豪雨などへの派遣は事前にある程度予見できますが、常日頃から〝いざ〟という時に備えはあっても、地震の派遣となると何の予見もできず、降って湧いたような出動命令に部隊は猫の手も借りたいような状況となります。
指揮所が立ち上げられ、全ての把握が急ぎ行われます。人員、装備、糧食、車両、燃料、現場までのルート、派遣先の状況など山のようにある確認作業を一刻も早くこなし、部隊を被災地に差し向けることに全力が注がれます。被災地に近い部隊であれば、現地偵察も必要となり、蜂の巣を突いた有様となります。指揮所は殺気立ち、罵声や怒号も飛ぶことさえあります。
こうした状況で、中特防は隊員の家を回らせる余裕があったとは信じ難いことです。
そして、「備えは万全ですのでご安心ください」と言い切れる自信は、どこから来ているのか大変興味深いことです。
私の経験では、父が地震で災害派遣が命じられ帰宅しなかったことがありますが、当日の夜遅くだったか、翌日だったか忘れましたが、かなり時間が経ってから部隊から電話連絡があったのを覚えています。「お父さんは、災害派遣でしばらく帰れません」という簡単なものでした。
中特防の家族への説明は、ほんとうに賞賛すべきものです。
大きな余震も続き、家族はさぞ不安だったことでしょう。しかし、部隊から人員が差し向けられ説明があれば、少しは安心できたことでしょう。
自衛隊に寄せられた手紙の中で、印象に残っているものがあります。
女性からのもので、自衛官を夫に持つ知人女性に震災直後、「震災で旦那さんはどうしているの」と尋ねたそうです。1歳の子供を抱きかかえた女性は「遺体の捜索をしている。(夫は)頑張っています。頑張っているんです…」と涙ぐんでいたそうです。女性は「自衛隊は日本の誇り。いつも守ってくれてありがとう」と結ばれていたそうです。
今回の震災で、家族が津波で行方不明のまま、被災地の救援に向かった隊員が少なからずいたことも記憶にとどめておかなければなりません。過労で倒れた隊員がいたこともです。
そして、何よりも震災・原発事故対応に当たった自衛隊員の家族こそ、私は日本の誇りだと思います。最も重要な後方支援である家族が耐え忍んでくれたことを、私は皆さんの記憶の中に留めておいて欲しいと望みます。
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