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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :03/29/07:31

07111446 東日本大震災を忘れるな!

東日本大震災から時間の経過とともに、忘れなければならないことと、忘れてはならないことが曖昧になってきています。

先ごろ、4,000人近い犠牲者を出した宮城県石巻市で、全市民を対象にした避難訓練が行われましたが、市民152,000人で参加したのは18,000人という数字が出ました。

被災地ですら、この状態ですから、被災地ではなかった場所では震災を忘れても不思議はありません。






東日本大震災で自衛隊の災害派遣は高い評価を受け、被災地の皆さんからは多くの感謝の言葉を頂きました。

でも、実際には別の言葉も頂戴しており、そうした面にも耳を傾けるべきだと私は思います。

なぜなら、再び大災害が起きる可能性もあり、次の災害に生かすべく自衛隊が賜った被災地の言葉が参考になると思うからです。

地震発生から1週間ほどして、捜索活動を行い道路脇で昼食をとっていると、自宅の様子を見に来た被災者が通りかかり「何だ、オレたちよりもいいもの食いやがって」と破棄捨てるように言われたことがあったそうです。

隊員が食べていたのは、レトルトのご飯と、同じくレトルトのカレーだったそうです。

当時、避難所ではおにぎりやパンだけだたので、隊員たちが食べているカレーを見て、豪華に見えたのかもしれません。

でも、隊員たちは早朝に乾パンをかじり、出発時に温めたレトルトの食事を現地に持ち込みそれを食べていたのです。

お気付きの方もいるかもしれませんが、被災から時間の経過とともに被災された方の食事は改善されましたが、隊員たちは現地ではこのレトルトから解放されることはありませんでした。

初動対処部隊などは、突然の派遣命令で取るものも取りあえず現地入りし、食糧も満足できる質も量も確保できないまま1ヶ月以上現地に留まった部隊もあったと聞き及んでいます。

被災翌日早朝、水没した地区に救助に入った隊員が、2階に避難している人に声を掛けて回ったそうです。「ボートが来たら助けに来ますから!」すると、「潜ってでも助けに来るのが自衛隊だろうが!」と言われたそうです。

食事については致し方ない面もありますが、「潜ってでも…」というのはどうでしょう。

何の警告もなく多くの命が失われ、家族や友人、知人も亡くされ、財産もなくされやり場のない怒りがこみ上げているのはわかります。でも、世界から賞賛された日本の裏には、こうした現実もあったことを私たちは知るべきですし、理解しておくべきでしょう。

あの時、何が起きていたのか。

それを知り、後世に伝えることも重要なことです。

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