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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :04/24/15:56

10011446 備えあれば憂いなし

今更説明することはないと思います。「普段から準備をしておけば、いざという時何も心配がない」と意味です。






震災から時間の経過と共に、忘れていいことと忘れてはならないことが渾然一体にされ、「備え」まで忘れ去られようとしているのではないでしょうか。

バカな官僚が、「復興は不要」などとブログで書き問題になりましたが、傲慢な役人根性丸出しの論法は看過できるものではありません。

「備え」をしなければならない立場の人間が、備えを怠り「復興」すら不要というのは悪魔のような思考の賜物です。

見落とされがちですが、岩手県の内陸部にある遠野市の東日本大震災での活動を注目すべきです。

遠野市は柳田邦夫の『遠野物語』のもとになった町であり、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」で知られています。

遠野市は被害の大きい岩手県南部沿岸6市町が半径50km圏内にあり、震災前から後方支援の構想を掲げ、提言や防災訓練を続けてきました。

個人的に遠野市長の有能さは、賞賛すべきものです。

軍事問題に関し、とかく「戦術」や「戦略」が論じられますが、実際に問題になるのは「兵站」です。

災害は防ぎようがありませんが、発災後第一に考えなければならないのは、遠野市が行った「後方支援」(兵站)です。

遠野市はあの日15時、市の運動公園を開放を決定。自衛隊等の受け入れ準備を進めました。

翌12日には北東北3県・北海道からの陸自部隊、全国の警察、消防も集結しました。

市は144の施設を開放し、250を超す団体が活動拠点にしました。市も独自で救援物資を300回以上被災地に届けました。

「津波の来ない」遠野市がなぜ、ここまで備えができていたのか。

市町は「津波が来ないからこそ、遠野の果たす役割がある」と訴え続けてきた結果だそうです。

大規模災害がいつ、どこを襲うかはわかりません。自衛隊、警察、消防に期待するよりも、出来ることから始める。「出来ること」とは近隣市町村が相互支援を約し、協定を結ぶなどすること。

場所によっては、県を越えた協力体制も必要となるでしょう。

準備をする前に、我々は災害がいつ、どこを襲うかわからないことを理解し、それに備えることが第一なのではないでしょうか。

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