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新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
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  • :12/12/00:05

04050800 ジャパンバッシング

いわゆる「日本叩き」です。

米国の対日貿易不均衡について反発や対抗手段など、日本を叩きのめすことを目的に様々な活動が行われました。

これが後に、日本に対する抗議や非難する言動を指すようになりました。






日本の調査捕鯨が国際条約に違反するとして、オーストラリアが日本を相手に国際司法裁判所に提訴していた判決が出ました。

捕鯨について調べると、発端となったのはジャパンバッシングに端を発していることがわかります。

日本の商業捕鯨が環境保護団体に批判され、環境保護団体や動物愛護団体に批判するようになり、経済摩擦問題と重なり自動車産業団体や農業団体なども大規模な反捕鯨・反日キャンペーンが繰り広げられました。

日本人が鯨を乱獲し食い尽くすかのように思っている人もいるかもしれませんが、捕鯨の歴史を見れば、問題なのは欧米諸国にあるのです。

「黒船来航」で日本はが幕末始まりますが、この黒船に乗ったペリー代将(海軍最上位階級:提督ともいわれますが、「提督」の使用は誤りです)が日本に求めたものは、米国の捕鯨船に薪と水、食糧の補給でした。

米国の捕鯨は鯨油を採取することを目的にしており、船上で炉と釜で革などを煮て採油していたため、大量の薪が捕鯨船には必要だったのです。

鯨油は、灯火用燃料、洗剤、火薬(ニトログリセリンの製造)、機械用潤滑油として欧米では使用されていました。

北米大陸東岸で17世紀中頃、マッコウクジラから上質の鯨油が採取されることがわかり、マッコウクジラとセミクジラを対象する捕鯨が始まりました。

沿岸捕鯨から始まり、鯨の数が減った18世紀には大型の帆走捕鯨船を母船とした米国式捕鯨が始められました。

セミクジラの乱獲で個体数が減少し枯渇状態になると、遊泳速度が速い捕獲が困難であり死ぬと水没するナガスクジラ科の鯨が豊富にあり、これを捕獲するため、1860年代にノルウェーで開発されたロープ付の銛を発射できる捕鯨砲が生み出されました。これが「ノルウェー式捕鯨」です。

ノルウェー式捕鯨はノルウェー沿岸、アイスランドやフェロー諸島でも使われるようになり、全世界に広まりました。

20世紀初頭になると鯨油の硬化技術が開発され、石鹸、マーガリン原料などにも使われるようなり捕鯨が再び活況を呈するようになりました。

1903年、近代的な採油設備を搭載した捕鯨母船が実用化され、ザトウクジラ、シロナガスクジラも急速に数が減っていきました。

資源の枯渇で、これまで手付かずだった南極海での捕鯨が始められました。

このように欧米の乱獲で鯨の数が減ってしまいました。

それが今では日本の鯨の乱獲で数が減ったかのような印象を持たせますが、その背景には「ジャパンバッシング」があり、欧米人の中に深層心理「イエローモンキー」「JAP」という、私たちが受け入れられない心理が働いているのです。

外国の圧力で「食文化」を変えるなど有ってはならないことです。

日本人は戦後の食糧難と栄養不足を補うために鯨肉に救われました。

時代の変化や生活水準の向上で、鯨肉が牛肉に取って代わりますが、牛肉の生産国がアメリカやオーストラリアが有名ですが、これらの国が日本の捕鯨に注文をつけてくるのは偶然なのでしょうか。

捕鯨問題は、そこまで考えて反論すべきなのです。

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