忍者ブログ

憂い next ver.

新・元自衛官の憂い  ようこそ、時事&軍事雑学BLOGへ!
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

04192354 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :04/19/23:54

08091102 原爆と放射能恐怖症

昭和20年8月9日午前11時02分、人類二度目の核兵器が長崎県長崎市の上空で炸裂しました。

長崎市の推定人口24万人のうち、約7万人が死没するという大量破壊兵器の恐怖をまざまざと身見せ付けるものでした。





アメリカ政府による核兵器の使用は、第二次世界大戦での日本を敗戦に追い込み、日本本土侵攻作戦を回避する目的があったとの公式な見解をとっています。

アメリカ国民は、真珠湾で「騙し討ち」をしたお返しとの見解を露わにする人が多く存在しますが、真珠湾攻撃での犠牲者はアメリカ側2338名に対し広島約14万人、長崎約7万、合計2338:210000という騙し討ちに対する制裁にしては、日本人には理解できない理屈が罷り通っています。

原爆開発は、使用から遡ること6年前のナチスから逃れアメリカに亡命していた物理学者のレオ・シラードたちの「憂慮」から始まります。

シラードはハンガリー生まれのユダヤ系物理学者で、ドイツで研究が始めれていた原爆が、ドイツが保有することを恐れ、アインシュタインに相談。アインシュタインにより、当時のアメリカ大統領であったルーズベルトに書簡が送られ、これがアメリカにおける原爆開発が進められるきっかけとなります。

その2年後、昭和16年7月、イギリスで原爆開発検討委員会が設置され、原爆の実現性が可能であること、航空爆撃が可能であるとされ、北アフリカ戦線で大敗していたイギリスのチャーチルが、アメリカに働きかけ、同年10月ルーズベルトは原爆開発をスタートさせます。

昭和19年9月、ルーズベルトとチャーチルは原爆を日本に使用するとの意思確認が行われ、核開発で米英協同で行う確認が行われました。

これで明らかなように、日本本土侵攻作戦回避ではなかったことがわかります。

ドイツが降伏すると、原爆開発に携わる科学者たちの間から使用反対の声が巻き起こります。

原爆使用に懐疑的な軍人も現れます。

アイゼンハワーは対日戦に原爆の使用は無意味であると進言し、アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督も都市への投下に消極的で、政府高官にも日本に対す原爆使用の事前警告を求めるべきとの意見も出ました。

これらのことから、原爆の使用は第二次世界大戦後の覇権を狙うアメリカ合衆国が力を誇示する目的であったこと、将来的に起こると思われる核兵器の人体への影響などの調査目的があったのではないかと思われます。

ベン・ブルース・ブレイクニー陸軍中佐は、東京裁判で日本側弁護人としこのようなことを述べています。

「キッド提督(真珠湾攻撃時、戦艦アリゾナ艦橋で戦死)の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

原爆は日本人の反米感情ではなく、放射線に対する恐怖感を根付かせることになりました。

こうした「恐怖」が差別を生み、被爆者に対する無理解な行動へとつながりました。一般市民だけでなく、媒体でも同様の差別が生まれ、被爆者は「放射能をうつす存在」、火傷による「奇異な姿」だけが取り上げられました。

原爆による反米感情が、放射線恐怖に転嫁され現在に至っています。

こうした歴史から、我々は多くのことを学ばなければならないのです。

拍手[3回]

PR

+コメントの投稿+

+NAME+
+TITLE+
+FONT+
+MAIL+
+URL+
+COMMENT+
+PASS+
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

+TRACK BACK+

+TRACKBACK URL+